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カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア(Catalina Micaela de Austria, 1567年10月10日 - 1597年11月6日)は、サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世の妃。イタリア語名はカテリーナ・ミケーラ・ダズブルゴ(Caterina Michela d'Asburgo)。 スペイン王フェリペ2世と3度目の王妃エリザベート・ド・ヴァロワの次女としてマドリードで生まれた。同母姉にイサベル・クララ・エウヘニアがいる。 1585年3月、サヴォイア公子カルロ・エマヌエーレとサラゴサで結婚、11人の子が生まれた。 *フィリッポ・エマヌエーレ(1586年 - 1605年) *ヴィットーリオ・アメデーオ1世(1587年 - 1637年) *エマヌエーレ・フィリベルト(1588年 - 1624年) *マルゲリータ(1589年 - 1655年) マントヴァ公フランチェスコ4世妃 *イザベッラ(1591年 - 1626年) *マウリツィオ(1593年 - 1657年) *マリア・アポロニア(1594年 - 1656年) 修道女 *フランチェスカ・カテリーナ(1595年 - 1640年) 修道女 *トンマーゾ(1596年 - 1656年) カリニャーノ公 *カリニャーノ *ジョヴァンナ(1597年 夭折) カタリーナ・ミカエラは、1597年トリノで亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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