|
『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(,)作品29は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが1930年から1932年にかけて作曲した全4幕9場から構成されるオペラ。原作はニコライ・レスコフの同名の小説(1864年執筆)を基に、作曲者がオペラ化したもの(台本はアレクサンドル・プレイスと共同で作成)。 1作目の『鼻』に続いて作曲された第2作目のオペラで、作曲者が20代半ばに作られた力作である。しかし後述する「プラウダ批判」により上演が禁止されたため、1962年に本作を『カテリーナ・イズマイロヴァ』(作品114)として改訂している。 == 概要 == === 作曲の経緯 === 1930年1月に最初のオペラ『鼻』が初演された後、当時24歳のショスタコーヴィチは次なるオペラの題材を求めていたが、友人のボリス・アサフィエフからニコライ・レスコフの中篇小説『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を読むことを勧められたことが作曲に至る直接の契機であった〔この契機は1940年に行われたインタビューで公言したものである。『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94〕。ただし、作曲者は1920年代頃からすでにレスコフの原作を知っていたようである〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94〕。台本は前作『鼻』で協力したアレクサンドル・プレイスに再び協力を求め、共同で台本を作成した。 作曲は1930年の秋に開始され、全曲が完成したのは1932年(当時26歳)のことである。経過は以下の通りである。 *第1幕:1930年10月4日着手-1931年11月5日完成(チフリスにて)〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94-96〕 :ピアノ譜は10月30日に、第2場は1931年10月7日にそれぞれ完成されている。 *第2幕:1931年11月19日着手(レニングラードにて)-1932年5月8日完成(モスクワにて)〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94-96〕 *第3幕:1932年4月5日着手(レニングラードにて)-1932年8月15日完成(ガスプラ〔ガスプラは当時作曲者が新婚旅行で滞在していた場所〕にて)〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94-96〕 *第4幕:1932年10月末着手-12月17日完成〔『ショスタコーヴィッチ ある生涯』 p.94-96〕 :作曲者は3か月ないしは4か月で完成すると想定していたが、当初の予定を大幅に繰り上げて完成させた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムツェンスク郡のマクベス夫人 (オペラ)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lady Macbeth of the Mtsensk District (opera) 」があります。 スポンサード リンク
|