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カトラン・フォルチュネ(Catherin Fortuné, 生没年未詳)は、16世紀後半のフランスの詩人。長らく、この人物は実在せず、ジャン・ド・シュヴィニー(ジャン=エメ・ド・シャヴィニー)の偽名にすぎないと見なされていた。 シャロン(シャロン=シュル=ソーヌ?)の出身で、1578年にリヨンの港の責任者の補佐役となっている。 同時代のアントワーヌ・デュ・ヴェルディエの書誌にはこの人物は登場せず、その著作はいずれもシュヴィニーの項で扱われていたため、長らくシュヴィニーと同一人物であると思われていた。デュ・ヴェルディエがこの2人をなぜ混同してしまったのかは分かっていないが、この2人に何らかの密接な関わりがあったためと推測される(ベルナール・シュヴィニャールは、フォルチュネに詩の手ほどきをしたのがシュヴィニーだったのではないかとしている)。 == 著作 == *『パシーの領主マンドロー殿に捧げる、リヨンの船の水先案内人 ''Le pilote de la nef lyonnoise, dedié à Monseigneur Mons. de Mandelot, Seigneur de Passy''』(リヨン、1570年) *:ガリカデジタル図書館(フランス国立図書館) で公開されている *訳書『パシーの領主マンドロー殿への祝賀 ''Congratulation à Monseigneur, Monsieur de Mandelot, seigneur de Passi''』(リヨン、1571年) *『ジャン=エメ・ド・シャヴィニーによる、リヨンの城砦 ''La Citadelle Lyonnoise, par Jean Aimé de Chavigny''』(リヨン、1890年) *:18世紀に発見された手稿が1890年になって出版されたもの。手稿にはフォルチュネの署名があるが、当時は同一人物説が有力だったため、シャヴィニー名義になっている。 この他にも、デュ・ヴェルディエが言及していたが現存しないシュヴィニー(シャヴィニー)の著作の中には、フォルチュネの著作が混じっている可能性がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カトラン・フォルチュネ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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