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カドヴァン・アプ・イアゴ : ウィキペディア日本語版 | カドヴァン・アプ・イアゴ
カドヴァン・アプ・イアゴ(Cadfan ap Iago, , , 580年頃 - 625年)はグウィネズ王国の王(在位:615年頃 - 625年)。 ==生涯== カドヴァン・アプ・イアゴはグウィネズ王イアゴ・アプ・ベリ(Iago ap Beli)の息子。パウィス軍がノーサンブリアのエセルフリス(Æthelfrith of Northumbria)に敗北したチェスターの戦い(Battle of Chester)の直後、おそらく615年頃にグウィネズ王に即位した〔イギリスの歴史家チャールズ・プラマーがチェスターの戦いは616年に起きたと主張し、一般にはそれが受け入れられている。しかし、当時の年代記の記述はまちまちである。その戦死者の中にイアゴがいたらしい記述もあるが、イアゴの没年は一般に613年と考えられている。詳細はBattle of ChesterとIago ap Beliを参照。〕 カドヴァンは一般に賢明かつ公平な統治者であったと考えられている。とくに、法の維持と、ブリテン史の中で敵がますます増えつつあった時代にあっての平和の手腕が特筆に値する。アングルシー島のLlangadwaladr教会にあるカドヴァンの墓石には、「Catamanus rex sapientisimus opinatisimus omnium regum(賢明かつすべての王の中で最も名高いカドヴァン王)」と言及されている。カドヴァンの死後、王位はカドワロン・アプ・カドヴァン(Cadwallon ap Cadfan)に継承された。 カドヴァンはジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』の伝説のブリタニア王の中に加えられている。ジェフリーはカドヴァンを「カドウァヌス」(ラテン語。英語表記はCadvan)と呼び、北ウェールズの王から後に全ブリトンの王となったことにした〔ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王史』11巻13章、12巻〕 。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カドヴァン・アプ・イアゴ」の詳細全文を読む
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