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カナダドル : ウィキペディア日本語版
カナダドル

カナダドル(英語:Canadian dollar、仏語:Dollar canadien)は、カナダ通貨である。記号は通常ドル記号「$」で示され、他のドル通貨と区別するために「C$」と記することもある。ISO 4217でのコードはCAD。1カナダドルは100セント(¢)。
2011年現在、カナダドルは国際為替取引において世界で7番目に取扱量の多い通貨となっている。
==歴史==

===カナダポンドからカナダドルへ===
1841年、カナダ植民地(Province of Canada)はハリファックス・レートに基づく新しい為替制度を導入した。新しく制定されるカナダポンドは4USドル92.88グレーン)と等価とし、1スターリング・ポンド(英ポンド)が1カナダポンド4シリング4ペンスと等価、になるように定めた。つまり、1カナダポンド=16英シリング5.3ペンス(スターリング)。
1850年代には、スターリング・ポンド(当時16進法)に基づく通貨制度を導入するか、USドルに基づく十進法の通貨制度を導入するかで激論が起こった。隣国アメリカ合衆国との交易が急増している現地民は実務的な理由からアメリカの通貨制度に合わせたいと主張し、本国ロンドンの当局では大英帝国全般でスターリング・ポンドに基づく通貨で統一するべきと依然として主張していた。1851年に、カナダ植民地立法評議会(Legislative Council of the Province of Canada、上院に当たる)とカナダ植民地立法議会(Legislative Assembly of the Province of Canada、下院に当たる)は、十進法の補助貨幣を持つスターリング・ポンドを導入する法律を可決。硬貨はUSドルの補助貨幣(硬貨)の額面に合わせた十進法単位の案であった。
1853年、妥協案として立法評議会と立法議会は、イギリスのソブリン金貨とアメリカ合衆国のイーグル金貨の両方に基づく金本位制をカナダに導入する法律を可決した。この際の交換レートはソブリン金貨1ポンドに対してイーグル金貨US$であった。1853年の法律では補助貨幣についての記載はなかった。ソブリン金貨のみを法定通貨としその他の銀貨は廃止された。イギリス政府は原則的にこの十進法に基づく通貨制度を承認したが、にもかかわらず、スターリング・ポンド制度の導入への望みを捨てなかった。しかし1857年にはアメリカ合衆国の十進法に基づく通貨制度に合わせた「カナダドル」貨幣制度導入が決まった。この「カナダドル」通貨の導入は1858年になったが、これでカナダの通貨制度はアメリカの通貨と連携したものとなった(但しUSドルと英ポンドの交換レートは、この時から1990年代後半まで1英ポンド=USドルと言うレートで続くこととなった)。1859年に、カナダで初めて十進法の額面の郵便切手が発行された。
1861年、ニューブランズウィックノバスコシアが、カナダ植民地の決定に合わせてUSドルに合わせた十進法の通貨(ドル)制度を導入し、翌年カナダにおいてもドル・セント表記の郵便切手が発行された。
ニューファンドランドも1865年に十進法貨幣(ドル)に基づく金本位制を導入。但しカナダ植民地、ニューブランズウィック、ノバスコシアのケースと異なり、USドルではなくスペインドルに基づく通貨とし、少し為替レート等も差異があった。そもそもUSドルは1792年にすり減ったスペインドル硬貨を元に算出されたので、スペインドルはUSドルに比べ少し安く、ニューファンドランド・ドルも存在している間はカナダドルに対しその分少しだけ価値が低かった。ニューファンドランドは大英帝国の中で唯一独自の金貨を持つ植民地であった。ニューファンドランドの2ドル金貨は、ニューファンドランド金融危機の起きる直前の1894年にカナダドルが導入されるまで、断続的に鋳造された。
カナダ植民地、ニューブランズウィック、ノバスコシアは1867年に統合し、カナダ連邦(Dominion of Canada)が成立。カナダドル、ニューブランズウィック・ドル、ノバスコシア・ドルが融合し、カナダドルに統一された。
1871年、プリンスエドワードアイランドがドル通貨を導入、1セント硬貨を発行したが、まもなくプリンスエドワードアイランドがカナダ連邦に参加したためカナダドルに統合された。

1871年4月に連邦議会で可決された統一通貨法(Uniform Currency Act)により、各地方ごとの通貨の流通を終了し全国共通のカナダドルに置き換えることとなった。第一次世界大戦中には金本位制を一時的に停止し、1933年4月10日には完全廃止となった。第二次世界大戦勃発にあたり、USドルとの交換レートはC$1.10 = US$1.00に固定された。1946年に等価(C$1 = US$1)に改定され、1949年に英ポンドが下落しカナダドルの価値も合わせて下落することとなったため、C$1.10 = US$1.00のレートに再改定された。その後、1950年にカナダ政府はカナダドルを変動相場制に移行し、1962年にはC$1.00 = US$0.925のレートでUSドルにペッグした固定相場制に戻した。この固定相場制は1970年まで続き、その後再び変動相場制に移行し現在に至る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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