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カナダ住民への手紙[かなだじゅうみんへのてがみ]
カナダ住民への手紙()は、1774年から1776年の間に3度、当時のアメリカ植民地の代表である大陸会議から、ケベック植民地の住民に宛てて書かれた手紙である。手紙の目的はケベックにいる大勢のフランス語を話す住民をアメリカ独立派の側に付けることだった。この目的は結局果たされず、ケベックのみならず他の北方イギリス領アメリカの植民地はイギリス側に残った。唯一ケベック地方から得られた援助は、総計1,000名足らずの2個連隊を徴兵できたことだった。
== 背景 == フレンチ・インディアン戦争(1754年-1763年)の結果として、イギリスはケベックを獲得したことで〔 "French and Indian War." Dictionary of American History. 7 vols. Charles Scribner's Sons, 1976. Reproduced in History Resource Center. Farmington Hills, MI: Gale Group.〕、北アメリカ大陸の東海岸全域を確保し、元のフランス領カナダ植民地は東海岸の13植民地と密接な関係をもつようになった。この新しい植民地が従来のイギリス植民地とはっきり違っていたのは、民衆の大多数がフランス語のみを話すことであり、またローマ・カトリック教徒であることだった〔Wrong, p. 19〕。また、イギリスが征服する前は法律がフランスの大陸法に基づいていたので、市民事情や法に対する感覚にも違いがあった。 1774年、イギリスの議会は「ケベック法」を始め、その後にアメリカ植民地人が「耐え難き諸法」と呼ぶことになる諸法を法制化した。ケベック法はケベックを納めるための法として1763年宣言に置き換わり、フランス系カナダ人のカトリックを信仰する権利を保証することで、ケベックにおけるイギリスの立場を強化するために使われた。歴史家の中には、この法がアメリカ植民地の独立運動にケベックの住民が参加しないようにするために予防手段として使われたと考える者が多い〔 "Quebec Act of 1774." Gale Encyclopedia of U.S. Economic History. Gale Group, 1999. Reproduced in History Resource Center. Farmington Hills, MI: Gale Group.〕。アメリカ植民地人はカトリックに関する条項をそれが植民地全てに導入される可能性のある楔として理解し、またケベック政府の構造に関する条項をイギリスの議会が植民地に対する支配を強め、一般に考えられる基本的権利を植民地では否定するために定めたと解釈した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カナダ住民への手紙」の詳細全文を読む
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