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カナダ植民地立法議会 (カナダしょくみんちりっぽうぎかい、英語:Legislative Assembly of the Province of Canada) はカナダ植民地の下院である。カナダ植民地は、1840年の連合法によってカナダ・イースト(それまではロワー・カナダ、現在はケベック州となっている)とカナダ・ウェスト(それまではアッパー・カナダ、現在はオンタリオ州となっている)が統合してできたものである。議員は、カナダ・イーストとカナダ・ウェストからそれぞれ42名ずつ選出される。日本語では立法議院や代表議会と訳されることもある〔日本カナダ学会編『新版 史料が語るカナダ』(2008年)は「立法議会」、齋藤憲司『各国憲法集(4) カナダ憲法』(2012年)は「立法議院」、松井茂記『カナダの憲法』(2012年)は「代表議会」と訳している。〕。これに対して上院のことは立法評議会という。 最初の議会は1841年にカナダ・ウェストのキングストンで開催された。第2回議会と第3回議会の初めの会期はモントリオールで開催された。1849年4月25日、反乱損害補償法に抗議する暴徒が議事堂に火をつけたため、残りの会期はトロントで開かれることになった。その後の議会はケベック・シティやトロントで開かれたが、オタワがカナダ自治領の首都に選ばれたことで、1866年の第8議会はオタワで行われた。 ==議事堂== 連合カナダ植民地の議事堂はトロント、キングストン、モントリオール、ケベック・シティ、オタワを転々としている。 *1841年-1843年 キングストンで開かれる。第1議会の3会期は3階建てのキングストン総合病院で行われた。 *1843年 モントリオールに移る。修復されたセントアン・マーケットで開催されるが、1849年に火事で焼失する。その後市場機能のみを残して再建されるも、1902年にふたたび火事にあう。その後は駐車場になり、現在はプラース・デュービル広場になっている。 *1849年 一時的にモントリオールのボンスクール・マーケットとフリーメイソンズ・ホールを使う。 *1849年-1850年 トロントに移る。フロント通りとシムコー通りの交差点にある議事堂を使う。 *1851年 ケベック・シティに移る。1854年に議事堂が火事で焼失する。 *1854年-1859年 ケベック・シティに留まるも、ケベック音楽ホールやケベック市裁判所で開かれる。 *1859年 トロントに戻る。前回の同じ議事堂を使う。 *1860年-1865年 ケベックに戻る。この時使用されたパルク・モンモランシーの新議事堂は、その後1867年から83年までケベック州議会として再利用された。 *1866年-1867年 オタワに移る。パーラメント・ヒルに新しく完成したセンター・ブロックを以後、拠点と定める。ただしこのときの議事堂は1916年の大火で消失している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カナダ植民地立法議会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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