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カナーン・バナナ : ウィキペディア日本語版
カナーン・バナナ

カナーン・バナナ(Canaan Sodindo Banana, 1936年3月5日 - 2003年11月10日)は、ジンバブエ共和国政治家メソジスト派牧師1980年4月18日から1987年12月31日まで、ジンバブエの初代大統領を務めた。任期中は主に儀式的な行為を行い、後任の大統領となるロバート・ムガベが首相として実務を行っていた。
ジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)とジンバブエ・アフリカ人民同盟(ZAPU)というジンバブエの2つの政党をまとめたほか、アフリカ連合の前身であるアフリカ統一機構の外交官を務めた。また、ジンバブエ大学宗教学部の学部長に就任するといった功績がある。しかし、晩年は同性愛の罪で逮捕され、バナナは否定したものの投獄されている。
== 略歴 ==

=== 大統領就任まで ===
バナナは1936年南ローデシアで、ンデベレ族文化の母とローデシアに移住してきたマラウイ人の父との間に生まれた。地元の学校で宣教師に教育を受け、後に教師養成研究所で学んでいる。〔"Canaan Banana." Biography Resource Center Online. Gale, 2004.〕1961年、妻ジャネットと結婚し、4人の子供をもうける。その後、ハラーレのエプワース神学学校の学位を得て、1962年にメソジスト派の牧師となる。政治に関わり始めると、イアン・スミス首相の慣習を糾弾し、黒人解放運動の暴動に参加するようになった。その後、統一アフリカ国民会議(UANC)の副議長に就任する。〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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