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カーナーヴォン (Caernarfon、ウェールズ語発音表記:kaɨrˈnarvɔn, )は、ウェールズの自治体。グウィネズ州、メナイ海峡の東岸にあり、対岸はアングルシー島である。 ==歴史== カーナーヴォンとはローマ時代の砦に由来する名称である。ウェールズ語ではこの土地を''y gaer yn Arfon''(モン島と向かい合う土地にある砦)と呼んでいた。モン島(Môn)とはウェールズ語でアングルシー島を意味する〔Taylor, Arnold (1997) . Caernarfon Castle and Town Walls (4th ed.). Cardiff: Cadw – Welsh Historic Monuments. ISBN 1-85760-042-8, P.4〕。 1221年、ルーウェリン・ザ・グレート(en)はアングルシー島のペンモン修道院の聖職者たちに憲章を授け、地名を''Kaerinarfon'' と称した。ウェールズの年代記である『諸侯たちの年代記』(en)においては、''Kaerenarvon''と''Caerenarvon''のつづりが用いられた〔Thomas Jones (ed.) ''Brut y Tywysogion Peniarth MS. 20'' (Cardiff, 1941). It should however be noted that medieval orthography in every language varies considerably and variant spellings of a name or word often occur in the same manuscript text. ''Kaerinarfon'', ''Kaerenarvon'' and ''Caerenarvon'' correspond to Caer-yn-Arfon in modern Welsh orthography. The letter "y" would naturally be lost in the spoken language, thus giving the standard Welsh name ''Caernarfon'' ("Caer 'n Arfon").〕。古くには替わりの名称としてCaer Seiontがあった。中世のウェールズ語の昔話Breuddwyd MacsenではそれはCaer Aber Sei(o)n(t)と呼ばれた。Seiontとはメナイ海峡に注ぐ川の名で、『Seiont川の河口にある砦』 を意味する。また、Caer Gystennin(コンスタンティンの城)の名もあった〔See Sir :en:Ifor Williams' notes in his edition of ''Breuddwyd Maxen'' (Bangor, 1920). The name appears for the first time in the work of :en:Nennius. Pre-conquest medieval Welsh poets such as :en:Hywel ab Owain Gwynedd sometimes use the name ''Caer Gystennin''.〕。 カーナーヴォンはかつてあったカーナーヴォンシャーの歴史的なカウンティに属するカウンティ・タウンであった。まちは大規模な石造りのカーナーヴォン城でよく知られていた。城はエドワード1世によって建設されたため、その結果時にはイングランド支配の象徴とみなされていた。 1284年、エドワード1世の憲章によってカーナーヴォンはバラ(自治都市)となった。幾度か追認された憲章により、城の最高責任者(Constable of the Castle)がバラの首長に任命された。かつての自治都市としてのバラは、1963年にロイヤル・バラ(王立都市)となった。このバラは1974年に1972年地方自治法によって廃止され、ロイヤル・タウン(royal town)の名が自治体に授けられた〔 The Town's Armorial Bearings & Royal Status (Caernarfon Online)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カーナーヴォン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Caernarfon 」があります。 スポンサード リンク
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