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カニエ・ウェスト(Kanye West、本名:Kanye Omari West、1977年6月8日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のミュージシャン、ヒップホップMC、音楽プロデューサー。 2000年代初頭から現在に至るまで楽曲プロデュースやフィーチャリング・コラボレーション、自身のソロ活動により数々のヒット曲を生み出しており、2016年時点でグラミー賞に57回ノミネート、うち21回受賞を果たしている。妻はキム・カーダシアン。 == 生い立ちと音楽活動 == 1977年6月8日、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタで生まれる。その後はシカゴや南京などで暮らし、1990年代半ばにプロデューサーとしてのキャリアをスタートさせた。1990年代末には、メジャーアーティストへ曲を提供するようになったがヒットに恵まれず、シカゴの美大に通いながら音楽活動を続けた。 2000年代に入ると、Jay-Zに才能を見出されプロデューサーとしてロッカフェラ・レコード(''Roc-a-Fella Records'')と契約を結ぶ。2001年、ジャクソン5の代表曲である「帰ってほしいの(''I Want You Back'')」を大胆にサンプリングしたJay-Zの「''Izzo (H.O.V.A.)''」をプロデュースし、全米8位のヒットを記録する。プロデューサーとして5曲提供したJay-Zのアルバム『''The Blueprint''』は音楽メディアに2000年代の名盤の一つに選ばれるなど大成功をおさめ、カニエはトッププロデューサーとしての階段を駆け上ることになる。プロデュース業が忙しくなったカニエは大学を中退した(後にアルバムのタイトルになる→『''The College Dropout''』)。 2002年10月23日、レコーディング後、スタジオから自宅へ帰る途中に居眠り運転で交通事故に遭い、口の中にワイヤーを入れなくてはならない程の大怪我を負う(後にアルバム収録曲タイトルになる→「''Through the wire''」)。事故後クリスチャンになり、神によって助けられたとコメントしている。 2003年、プロデュースしたLudacrisの「スタンド・アップ(''Stand Up'') ''feat. Shawnna''」が全米1位を記録する。 また、プロデュースしたアリシア・キーズの「ユー ・ドント・ノウ・マイ・ネーム(''You Don't Know My Name'')」が全米3位を記録、第47回グラミー賞のベストR&Bソング部門を受賞した。 さらに同年、プロデュースし自ら客演で参加したTwistaの「スロー・ジャムズ(''Slow Jamz'') ''feat. Kanye West and Jamie Foxx''」が全米1位を記録する。 2004年2月10日、ロッカフェラ・レコードよりソロデビューアルバム『''The College Dropout''』をリリース。全米2位を記録する。 この年LIVE 8に出演し、2005年の米タイム誌「今日最も影響力の強い100人」の一人に選定された。 また、デフ・ジャムの傘下に自主レーベルのGOOD Musicを創設した。第47回グラミー賞ではアーティスト、ソングライター、プロデューサーとして合計10のノミネーションを得て、3部門を受賞。 2005年5月、11曲中9曲をプロデュースしたCommonのアルバム『''Be''』が発売される。全米2位を記録し、アルバムと収録曲3曲がグラミー賞にノミネートされた。 8月2日にアメリカ南部をハリケーン・カトリーナが襲った際、「ブッシュ大統領は、黒人のことは何も考えていない〔George Bush doesn't care about black people.〕」とジョージ・ブッシュアメリカ合衆国大統領を非難するコメントをNBCの生放送中に発表し、全米で物議を醸す。その映像はNHKのニュースでも取り上げられた〔カニエの名は出なかった〕。ジェイ・Zは「俺はカニエ・ウェストを100%支持する。これがアメリカだ。誰でも自分の言いたいことを発言することができる。俺たちは発言の自由をもっているんだ」と発言した。 8月30日、2枚目のアルバム『''Late Registration''』をリリース。全米1位を記録する。アルバムからのシングル「''Gold Digger''」はアメリカ国内だけでも500万枚を売り上げ、10週連続全米1位を記録した。 第48回グラミー賞ではアーティスト、ソングライター、プロデューサーとして合計8部門にノミネーションし、3部門を受賞。 2007年1月、日本人ヒップホップグループ、TERIYAKI BOYZのシングル「''I still love H.E.R. feat.KANYE WEST''」にプロデューサーとラップで参加。日本のテレビ番組『ミュージックステーション』にもゲスト出演した。 9月11日、3枚目のアルバム『''Graduation''』をリリース。アルバムのジャケットは村上隆が担当した。50セントのアルバム『''Curtis''』と同日リリースで話題を呼んだが、カニエが米英で1位を勝ち取った。アルバムからのシングル「''Stronger''」はアメリカ国内だけで500万枚を売り上げ、米英で1位を記録する。第50回グラミー賞では最多8部門にノミネートされ4部門を受賞した。 2008年9月12日にパパラッチのカメラを壊し、器物破損で逮捕。逮捕後、約210万円の保釈金を支払って保釈された。カニエの知人で、彼から寄付を受けている慈善活動家の目撃談によると、カメラマンに攻撃され、カニエは身を守っただけだという。曰く「なぜ彼(カニエ)が逮捕されたのかわからない。あの男はカニエの顔にカメラをあまりにも近づけすぎていた。私は彼を責めないね」。 11月24日、4枚目のアルバム『エイト・オー・エイトズ&ハートブレイク』をリリース。全米1位を記録する。 2009年8月、『''Scrape TV''』に出演した際にマイケル・ジャクソンについて触れ、「次のキング・オブ・ポップは俺さ」と発言し反響を呼ぶ。しかし、カニエは自身のブログで、そのようなことは言っていないと反論した。カニエの発言を受けて動画サイト『''JumpOff-TV''』が、マイケルとカニエを左右に並べてCDセールス、受賞歴、表紙を飾った雑誌の数、ファッションなどを比較する動画を作成した〔。 9月13日に行われたMTV Video Music Awards 2009では、最優秀女性アーティスト・ヴィデオ賞を受賞したテイラー・スウィフトのスピーチ中に泥酔して乱入、彼女のスピーチを妨害しマイクを奪い、「君の受賞は本当に良かったけど、ビヨンセが史上最高のビデオを作ったアーティストの1人だ」と発言、場内からブーイングを浴びた。その後最高賞である最優秀ビデオ賞を受賞したビヨンセがスウィフトを壇上に招き入れ、スピーチの続きを促す気遣いを見せている。この行為は波紋を呼び、カニエは自身のブログや翌14日に出演したNBC「ジェイ・レノ・ショー」で謝罪、スウィフト本人にも電話で謝罪したが、音楽ファンや著名人から非難の声が上がり、バラク・オバマ大統領もCNBC主導による記者会見中のオフレコ発言で、カニエに対し「Jackass(ばか者)」と呼ぶ騒ぎにまで発展した。なおこのオバマの発言は、ABC「ナイトライン」のキャスター、テリー・モーランがTwitter上で暴露した物で、この事を意図的に報じなかったCNBCがABCを非難、モーランは発言内容を削除し、ABCは謝罪に追われる事態となった。 2010年11月22日、5枚目のアルバム『''My Beautiful Dark Twisted Fantasy''』をリリース。全米1位を記録する。本作の内容は各方面から大絶賛を受け、ローリング・ストーン誌は「カニエにしか作れない音楽」と5点満点中5点を付けたほか、辛口批評メディアとして知られるピッチフォーク・メディアは10点満点中10点を与えた。またローリング・ストーン、ピッチフォークをはじめ、スピン、ステレオガム、エンターテインメント・ウィークリー、タイム紙など数多くのメディアから本年最高のアルバムと評された。 第54回グラミー賞では7部門にノミネートされ、ラップ・カテゴリの4部門を独占受賞した。しかしながら主要部門である年間最優秀アルバム賞にはノミネートさえされず、Jay-Zと共に式をボイコットした。 2011年8月8日、Jay-Zとのコラボレーション・アルバム『''Watch the Throne''』をリリース。全米1位を記録し、アルバムからのシングル「''Niggas in Paris''」はアメリカだけで400万枚を売り上げた。第55回グラミー賞では6部門にノミネートされ、3部門を受賞した。 2013年6月18日、6枚目のアルバム『''Yeezus''』をリリース。ほぼノンプロモーションであり、リードシングルはなく、アルバムジャケットはカバーもブックレットもなくステッカーのみという、異例の形態でのリリースとなったが、全米・全英チャート両方で初登場1位を記録した。リック・ルービンを迎え制作された本作は、サウンド面でも、これまでの作品とは大きく異なり、攻撃的で、インダストリアルな色が強いものとなった。 前作同様、批評家筋からは賞賛の嵐が巻き起こり、ピッチフォーク・メディアで10点満点中9.5点、NMEで10点満点中9点を獲得したほか、ベルベット・アンダーグラウンドのルー・リードが本作のディスクレビューの中で「この男は本当に、本当に、本当に才能がある」と大絶賛した。 12月、全米公開された映画『俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』にカメオ出演した。 第56回グラミー賞では2部門にノミネートされたものの受賞を逃す。カニエはアルバムがメディアから軒並み高評価を得ていたものの2部門しかノミネートされなかったことに不満を露わにした。 第57回グラミー賞でも2部門にノミネートされたものの受賞を逃す。しかし、6年ぶりとなるパフォーマンスを客演も含め2回披露した。 2015年5月3日に次のアルバムのタイトルを『''So Help Me God''』から『''SWISH''』に変更するとTwitter上で明らかにした。 同年10月にオーディション番組「アメリカン・アイドル シーズン15」のサンフランシスコのオーディションにサプライズ参戦し、「ゴールド・ディガー」を披露。結果は合格で、次回のハリウッドのオーディションへの参加権を得た。 2016年1月には、タイトルを『''Waves''』に変更するも、2月に入り、『''The Life of Pablo''』に再び変更された。2月11日には、マディソン・スクエア・ガーデンにおいて、Yeezy Season 3 とアルバムの発表が行われた。2月14日、7作目となる『''The Life of Pablo''』をTidal限定でリリース。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カニエ・ウェスト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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