|
カフェオリンポスは日本の元競走馬。おもな勝鞍に第6回ジャパンダートダービー。そのほかトパーズステークスなど中央競馬のオープン競走で4勝をあげている。 == 戦績 == 2003年8月16日に新潟競馬のダート1200メートルの新馬戦でデビュー。デビュー戦は2着に終わったが、同開催の同条件の未勝利戦で初勝利をあげる。年末の中山のダート戦で2勝目をあげる。 2004年の初戦は、デビュー以来初の芝競走のクロッカスステークス。2番人気に支持されたものの勝ち馬シーキングザダイヤから離れた7着に終わる。ダート路線に戻し、次戦に選択したヒヤシンスステークスでは出走馬中最速の上がりで快勝。重賞初挑戦となったユニコーンステークスでは。ダートの実績があることから1番人気に支持されたが、前走で破ったトップオブワールドに敗れ4着に終わる。 次戦にはGIジャパンダートダービーを選択。中央勢で人気最上位の3番人気に支持された。レースは1番人気のアジュディミツオーが逃げる中、好位5〜6番手から直線でもメンバー最速の上がりを繰り出し最後は3馬身差をつけて快勝。初重賞制覇がG1初制覇となった。 休養明けで臨んだ師走ステークスはヒシアトラスの2着。暮れの東京大賞典は主戦の柴田から岡部幸雄に乗り代わりとなった。レースではジャパンダートダービーで降したアジュディミツオーが逃げ切り勝ちを収める中、中団からまったく伸びず12着と惨敗。 2005年、初戦の根岸ステークスから柴田に手綱が戻り、メイショウボーラーの5着同着。本番フェブラリーステークスは10着と惨敗。その後、マーチステークス5着、サウジアラビアロイヤルカップ13着と勝てない競馬が続いた。続く大沼ステークスでは四位洋文に乗り代わりで臨み、2番手から抜け出し約1年ぶりの勝利。これが、馬主である西川清の生前最後の勝利となった。このレース以降は、当馬は息子である西川光一の所有となった。 半年振りの武蔵野ステークスは、久々の出走で59kgという斤量を背負い11着に終わる。続くトパーズステークスは最速の上がりを記録するも競り負けて2着に敗れた。この後、休養をはさみ、5ヶ月ぶりのコーラルステークスは、ここ3戦騎乗していた四位が他の馬に乗るため岩田康誠が騎乗し、2番手から抜け出し6勝目。その後、5戦するものの5着が最高位と勝てないレースが続いた。鞍上を四位に戻したトパーズステークスは中団から早めに仕掛け、ハナ差で競り勝ち前年の雪辱を果たした。この勝利が最後の勝ち星である。勝った勢いで臨んだ暮れの東京大賞典は4番人気に支持された。ブルーコンコルドの4着に敗れたものの、1番人気のアジュディミツオーには先着した。 2007年、平安ステークスではブービーの15着と惨敗したものの、人気を落としたフェブラリーステークスではブービー人気ながら4着に善戦。1戦挟んで迎えたマイルチャンピオンシップ南部杯では3着と好走したものの、武蔵野ステークスは6着。後藤浩輝との初コンビで臨んだジャパンカップダートはブービーから10馬身差、1着のヴァーミリアンからは7.3秒差と大差負けとなった。 2008年は脚部不安もあって、3戦して未勝利。2009年はアルデバランステークスで人気薄で2着に突っ込んだものの3月のマーチステークスを最後に出走していない。 2010年1月16日付で登録を抹消。引退後は、茨城県の栗山牧場で種牡馬となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カフェオリンポス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|