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カフェーパウリスタ : ウィキペディア日本語版
カフェーパウリスタ
カフェーパウリスタ(CAFE PAULISTA)は日本の喫茶店である。1911年(明治44年)、銀座に開業。各地に店舗を広げ、親しまれたが、1923年(大正12年)関東大震災の被災後に喫茶店経営から撤退。1970年に復活した銀座店は、昔のカップ、スプーンを復元するなどで「日本初のカフェ」を自認している〔ただし一般に「日本最初のカフェ」とされているのは、1888年(明治21年)開店の「可否茶館」である(『「銀ブラ」の語源を正すーカフエーパウリスタと「銀ブラ」』99ページ)。下谷#沿革も参照のこと。〕。「パウリスタ」は「サンパウロっ子」の意味。
== 来歴 ==
皇国殖民株式会社の社長であった水野龍は、ブラジルへの日本人移送の見返りおよびブラジルコーヒーの宣伝普及のため、ブラジルのサンパウロ州政府より3年間1,000俵のコーヒー豆(ブラジル種)の無償提供を受けられることとなった。これを元に1910年(明治43年)、大隈重信に協力を仰ぎ合資会社カフェーパウリスタを設立し、翌1911年12月、「南米ブラジル国サンパウロ州政府専属珈琲販売所」と銘打ち、京橋区南鍋町(銀座6丁目)に「カフェーパウリスタ」を開業した〔高井p.102〕。サンパウロ州政府からのコーヒー豆の無償提供は実際には12年間続いた〔長谷川泰三『カフエーパウリスタ物語』38ページ〕。
1911年は3月にプランタン、8月にライオンと「カフェー」を冠する店が相次いでオープンした年である。プランタン、ライオンは洋酒や洋食も売り物で、女給仕を置いていたが、パウリスタはコーヒー中心、店員は少年であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カフェーパウリスタ」の詳細全文を読む



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