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カミロ・アルベルト・パスカル・ルス(Camilo Alberto Pascual Lus , 1934年1月20日 - )は、キューバのハバナ州ハバナ出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。愛称は"Little Potato"(リトル・ポテト)。 兄のもMLBでプレーしていた。 == 経歴 == に17歳で生まれ育ったハバナを離れ、マイナーリーグのチームに入団した。 冬の時期は-シーズンから-シーズンまでキューバ国内リーグ"リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル"でプレーした。-シーズンはカリビアンシリーズ初優勝に輝いたエレファンテス・デ・シエンフエーゴスのエース級投手として活躍し、リーグMVPを受賞した。 4月15日にワシントン・セネタースでMLB初登板。初登板の対ボストン・レッドソックス戦では3回を投げ、0与四球・3被安打で無失点の内容だった。 デビュー後数年は制球難に苦しむが、年々与四球の割合を減らしていった。 は5月からシーズン終盤まで好調を維持し、オールスターゲームに選ばれた。このシーズンは最終的には238.2回を投げ、防御率2.64・185奪三振を記録した。 テッド・ウィリアムズが「18年間のアメリカンリーグで最も恐れられた」と語ったほどの効果的なカーブを投げ、速球とのコンビネーションで奪三振を量産。1961年からまで3年連続で最多奪三振のタイトルを獲得した。 のツインズは球団記録の102勝を挙げ、移転後初のリーグ優勝を果たした。しかしパスカルはシーズンの後半戦に右腕の故障に苦しみ、ワールドシリーズの3戦に先発登板したものの、打線は1点も取れずに5回・3失点で敗戦投手となった。チームは3勝4敗で惜しくもワールドチャンピオンを逃した。 も故障が完治せず、103.0回・8勝・防御率4.89の成績で終えた。同年12月にワシントン・セネタースへトレードされた。 は164.2回・12勝・防御率3.28を記録し、復活した。 は201.0回・13勝・防御率2.69と前年よりも成績を上げた。 は9イニング換算で6以上のペースで与四球を出し、防御率も6点台と苦しむ。同年7月にはシンシナティ・レッズ へ移籍したが、レッズでは7.1回を投げ、7失点と散々な内容だった。 4月にレッズから放出されたものの、同じ日にロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。しかし8月に放出された。 4月にクリーブランド・インディアンスと契約を結んだが、2ヶ月足らずで放出され、現役を引退した。 からまではツインズでコーチを務めた。 にキューバ野球殿堂入りを果たした。 現在はキューバ人コミュニティがあるフロリダ州マイアミに在住しており、からラテンアメリカ担当のスカウトとして働いている。オジー・カンセコ、アレックス・コーラ、フランクリン・グティエレスらと契約を結んだ。 7月にツインズ野球殿堂入りを果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カミロ・パスカル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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