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カミーユ・マリー・スタマティ(Camille-Marie Stamaty、1811年3月13日 ローマ - 1870年4月19日 パリ)は、フランス人のピアニスト、ピアノ教師、また主にピアノの曲と練習曲を書いた作曲家。今日ではほぼ忘れ去られているが、彼は19世紀のパリにおいては高名なピアノ教師であった。彼の最も有名な弟子はゴットシャルクとサン=サーンスである。 スタマティはカルクブレンナーの高弟であり、彼の指導法を受け継いでいた。彼は歯切れよく、明瞭で、透かし細工のようなピアノ奏法を教えており、音の粒の均等性、指の独立、身体と腕の動きを最小にするよう説いた〔ショーンバーグ カルクブレンナー―スタマティ派をこうした言葉で説明するのに、理由がないわけではないのだ。''フランスのピアニストは、カルクブレンナー、エルツ、スタマティに根ざす、軽く、流れるようなヴィルトゥオーゾ的技巧派に属する。それは上品ながらも外面的に過ぎる。''Harold C. Schonberg, The Great Pianists, Revised and Updated. (New York: Simon & Schuster, 1987), p.290.〕。 スタマティはおびただしい数のピアノ練習曲を作曲した。また、他にもピアノ小品(一般的なワルツ、幻想曲、カドリーユ、変奏曲など、19世紀では重要な作品群)、一曲あるピアノ協奏曲、また室内楽を数曲作曲している。かつては有名であった彼の練習曲に目を向けることは非常に有用であると思われるが、彼の音楽は今日では演奏の機会に恵まれていない。彼の重要な作品(演奏会用練習曲、ピアノ協奏曲)の、できれば歴史的楽器でなされた新録音の登場が待たれる。 ==生涯== ===誕生と家族的背景=== カミーユ=マリー・スタマティは、ローマで、ギリシアから帰化した父(名前はそのためである)とフランス人の母の間に生まれた〔アントワーヌ・マルモンテル, ''Les Pianistes Célèbres'', (Paris: Imprimerie Centrale des Chemins de Fer A. Chaix et Cie., 1878), pp. 214-225. マルモンテルはスタマティに関して、ほぼ唯一の良質の記録を残している。マルモンテルは自書に登場する全てのピアニストを賞賛する傾向にあるが、彼はスタマティとは個人的に面識がある上、彼自身のピアニスト、ピアノの教授という立場から、スタマティとその一派の権威と対談を行っている。さらに、彼はスタマティの作品に精通している〕。彼の父は一時期イタリアのチヴィタヴェッキアという街のフランス領事であった。彼の母はフランス人で、おそらく本人と面識があったであろうアントワーヌ・マルモンテルによると、イタリアオペラのアリアを上手に歌いこなしたという。スタマティの父は1818年に亡くなっており、このため一家はフランスに戻り、はじめはディジョンに、後にパリに住んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カミーユ=マリー・スタマティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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