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カムチュベク・タシーエフ : ウィキペディア日本語版 | カムチュベク・タシーエフ
カムチュベク・タシーエフ(、カムチベク・タシーエフとも、1968年 - )は、キルギスの政治家。アタ・ジュルト党党首。 == 経歴 == 2005年から2010年まで同国大統領であったクルマンベク・バキエフに近く、バキエフ政権では非常事態相を務めた〔浜野道博『検証キルギス政変天山小国の挑戦』東洋書店、2011年、175頁〕。2010年キルギス騒乱でバキエフが失脚した後は自身の基盤であるキルギス南部に依ってローザ・オトゥンバエヴァの暫定政権に抵抗。同年6月に同国南部のオシで起きたキルギス人とウズベク人の民族衝突についての捜査を妨害した〔浜野160頁〕。 その後は新たにアタ・ジュルト党を結成し、同年10月の国会総選挙では僅差で第一党となった。しかし翌年のキルギス大統領選挙ではキルギス社会民主党のアルマズベク・アタンバエフに敗れた。2012年には首都ビシケクで反政府デモを起こした事が当局に「暴力革命を企図した」とみなされ、逮捕されている〔“Opposition risks Kyrgyzstan’s stability in protests” The Washington Times, 2012年10月12日〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カムチュベク・タシーエフ」の詳細全文を読む
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