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カムランの戦い : ウィキペディア日本語版
カムランの戦い[かむらんのたたかい]

カムランの戦い(カムランのたたかい、Battle of Camlann)はアーサー王の最後の戦い。キャムランの戦いとも。『カンブリア年代記』などの歴史資料にもこの戦いについての記述がみられる。また、伝説によればアーサー王はこの戦いの最後に死亡したとも、傷を癒すためにアヴァロンへ向かったともされる。
== 史書 ==
史書の類に現れる記録のうち、最古のものは『カンブリア年代記』である。それによると、西暦537年に「アーサーとメドラウト(Medraut、モルドレッドと同一人と見られる)がカムランの戦いで死亡した」との記述がある。しかし、「アーサー王とモードレッドが敵同士として戦った」とは書かれていない。
ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王伝』以降の文献では一般的に、「アーサー王の遠征中にモードレッドが反乱を起こし、それをアーサー王が討伐したが、重傷を負ったため治療のためアヴァロンへ向かう」という設定になっている。ちなみに、『ブリタニア列王伝』によればカムランの戦いは、ベイドン山の戦いから20年後ということになっている。
カムランの位置については諸説あるものの、定かではない。北サマセットのクイーンキャメルや、キャメルフォード付近などが候補として挙げられている。ただ、「カムラン(camlann)」という名前であるからには、「ねじまがった土手(crooked bank)」のある古戦場のどこかにカムランがあるということになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カムランの戦い」の詳細全文を読む



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