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カム・ケアーンクロス(Cameron "Cam" Cairncross 1972年5月11日 - )は、オーストラリアのクイーンズランド州ケアンズ出身の元プロ野球選手(投手)である。 == 略歴 == 11月11日に、サンディエゴ・パドレスと契約を結んだ(ドラフト入団でないのは、ケアーンクロスがオーストラリア出身で、オーストラリアはドラフト対象外地域の為)。 は、マイナーリーグはおろかメジャーリーグでも試合に出場する機会を与えられなかった。 は、ウォータールー・ダイヤモンズ(A級)でプレイ。先発投手として24試合に登板し、防御率3.61・8勝8敗という成績を残した。また、137.0イニングで138三振を奪い、三振奪取能力の高さを見せ付けた。 は、ランチョクカモンガ・クエークス(A+級)に昇格し、29試合に登板。うち26試合に先発投手として登板し、防御率こそ5.11と振るわず、負け越したものの、2ケタ勝利(10勝)を挙げた。 もA+級ランチョクカモンガでプレー。しかし、先発投手としての登板はなく、全てリリーフ投手として29試合に登板した。そこで防御率4.37・3勝1敗という成績を残し、ウィチタ・ラングラーズ(AA級)に昇格。ここでも全てリリーフ投手としての登板で30試合に投げ、防御率3.65・2勝3敗という成績を残した。その後、更にラスベガス・スターズ(AAA級)にも昇格し、リリーフ投手として4試合に登板した。1994年の3チームの通算成績は、全てリリーフ登板で64試合に登板し、防御率4.04・5勝5敗という成績。また、奪三振の多さも相変わらずで、78.0イニングで77奪三振(奪三振率8.88)を記録した。 は、1991年と同様に、マイナーリーグ及びメジャーリーグのいずれでも登板しなかった。 も前年に引き続き、登板機会はなかった。 は、マイナーリーグで3年ぶりに試合に出場。リリーフ投手として、A+級ランチョクカモンガで40試合に登板。しかし、防御率5.62・1勝3敗と、結果を残す事は出来なかった。一方で、奪三振の多さは健在で、64.0イニングの登板で70三振(奪三振率9.84)を奪った。その後、10月17日にフリーエージェント(FA)となった。 は、どこのチームとも契約せず、ケアーンクロスにとって4度目となる、登板なしのシーズンを過ごした。 4月27日にクリーブランド・インディアンスと契約。まずは、キンストン・インディアンス(A+級)で6試合に登板。無失点で切り抜け、2勝0敗、10.0イニングで11奪三振(奪三振率9.90)と好投した。その後、バッファロー・バイソンズ(AAA級)に昇格し、19試合にリリーフ投手として登板したが、昇格前とは打って変わって未勝利で3敗を喫し、防御率も5.21という数字だった。1999年の2チームの通算成績は、全てリリーフ登板で25試合に登板し、防御率3.41・2勝3敗という成績。 7月20日に、長年の下積み生活を経て、メジャーリーグに昇格した。デビュー戦の対戦相手はカンザスシティ・ロイヤルズ。ケアーンクロスは敗戦処理として、4番手で登板。ヒットを1本打たれ、四球も1つ与えたが、この試合に登板した4投手(ジム・ブラウワー→ジェイミー・ブルウィントン→ジャスティン・スパイアー→ケアーンクロスの順番)の中では唯一無失点に抑えた。最終的には15試合に登板し、防御率3.86・1勝0敗という成績を残した。因みに、2000年もマイナーリーグで試合に投げており、アクロン・エイロス(AA級)とバイソンズの2チームで通算43試合にリリーフ登板し、防御率1.66・1勝1敗という成績を残している。 結局、のシーズンで投げる事はなく、2000年10月1日の試合が、ケアーンクロスにとって現役最後のメジャーリーグでの登板となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カム・ケアーンクロス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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