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カラゴン事件 : ウィキペディア日本語版
カラゴン事件[からごんじけん]
カラゴン事件(カラゴンじけん)とは、1945年7月に、ビルマ南東部モールメン地方のカラゴン村 (Kalagan) で、日本軍(陸軍第33師団歩兵第215連隊第3大隊)が、村民の男女・子供約600人を英印軍に協力したゲリラとみなして虐待した上、殺害した事件。1946年にBC級戦犯裁判(イギリス・ラングーン裁判)で裁かれた。なお、文献によっては「カラゴン事件」の表現も見られる。
== 事件 ==
1945年7月、日本軍のビルマ憲兵隊モールメン分隊の憲兵4名が、モールメンの東北約50キロメートルにあるカラゴン村付近に英印軍の空挺部隊が降下したという情報を受けて、カラゴン村を調査した。
取調べの結果、カラゴン村の近く2、3キロメートルの地点に空挺部隊が降下し、村民たちの支援を受けていることが判明した。陸軍第33師団歩兵第215連隊第3大隊(大隊長・市川清義少佐)は、第215連隊(柄田節連隊長)から敵軍根拠地殲滅の命令を受けて、空挺部隊を討伐するために降下地点を襲撃したが、部隊は既に移動した後だった。第3大隊はいったんモールメンに帰還した後、今度はカラゴン村の掃討命令を受けて、カラゴン村へ向かった。
1945年7月7日夕方、第3大隊と憲兵隊は、カラゴン村に到着すると、村人を集め、男性をモスクに、女性と子供を附属の集会所に閉じ込めた。それから憲兵隊が徹夜で取調べを行い、その間に村民を虐待した。殴打したり、家屋から吊るすなどして拷問しながら尋問したとされる。その中で何人かの村民がゲリラに協力していることを自白した。翌7月8日の午後、村民たちは4人から10人ずつのグループに分けられて、目隠しをしたうえ紐で結ばれて村の各所の井戸の側に連行され、銃剣で刺されてから井戸に放り込まれた。
生き残った村長の証言によると、戦後殺害された村民の人数を確認したところ、男性174人、女性195(または196)人、子供266(または267)人の計637人だった。当時カラゴン村の人口は900人から1千人程度で、約400人の村民は殺されずに助かった。尋問は行ったものの、容疑者を絞ることもなく、女性や子供も含めて殺害したことから、被害者が多くなったとされる。
その後、日本軍は村を離れたが、同月11日に再び村に現れて家屋に放火し、約10人の女性を連れ去った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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