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カラスのいる麦畑(カラスのいるむぎばたけ、、)は、フィンセント・ファン・ゴッホによって1890年7月に描かれた油彩絵画。彼の最晩年に描かれた作品のひとつである。日本語では「カラスの群れ飛ぶ麦畑」、「黒い鳥のいる麦畑」などのタイトルが付されている。 オランダ・ゴッホ美術館蔵。 =="絶筆"と"カラス"の俗説== 比較的広く知られる本作は、俗に、ゴッホの絶筆の作品であるとの誤認がなされることが多い。 しかしゴッホが死去したのは1890年7月の29日であり、同月10日頃の弟テオ宛の手紙にこの絵と思われる作品に関する記述があることから実際には7月上旬に描かれたと推定されている。(後述#同時期の作品も参照)したがってこの絵を「最後」の作品とするには無理がある。一方「絶筆」の記述が最初に出始めたのは1908年、ミュンヘンのモデルネ・クンストハンドブルク画廊などを巡回したファン・ゴッホ展のカタログで、この絵に当時は「雷雨」のタイトルが付けられ、「巨匠最後の作品」と付記されていた。 ちなみに、遺族が公式に認めたタイトルは「黒い鳥のいる麦畑」である。 この「黒い鳥」がカラス(''Corvus'')であるかどうかの根拠はない。〔さらに厳密にいえば暗色の空に暗色の絵具で描かれたこれらの鳥の実際の体色が黒だったのかどうかも不明ではある。〕 一方、後の1914年にベルギーのアントウェルペンで開かれた現代美術展のカタログではこの絵は「鴉(からす)の群れ飛ぶ麦畑」の題が付けられ、「画家の最後の作品」と説明された。 以後、根拠の無いまま「黒い鳥」はカラスであり〔英語:「''Wheatfield with Crows'' 」やフランス語:「''Champ de blé aux corbeaux'' 」などでも同様に「カラス」となっている。〕、この絵はゴッホの「絶筆」であるとする見解は広まっていった。 1956年のハリウッド映画『炎の人ゴッホ』のラストシーンでは、カーク・ダグラス演じるゴッホがカラスのいる麦畑でこの絵を描き上げ、その場で拳銃自殺を遂げる。 しかし実際には、ゴッホが自殺(半遂)を図ったとされる発砲の現場が麦畑だったという証拠も存在していない〔ゴッホの自殺(半遂)は定説である。 が、この発砲事件については、彼は血だらけになりながらも自力で自室のベッドまで歩いて帰って来たとされ、発砲時の目撃者は一人も無く現場は特定できず、また右利きであったはずの彼にしては弾丸の入射角が不自然であったことや、その凶器となったピストル(または一説に猟銃)も行方不明のまま発見されていないことなど、いくつか不可解な点も報告されている。〕。この映画は世界中で大ヒットし、その影響で「ゴッホが死の寸前に描いていた作品」というイメージがさらに浸透した。 「麦刈り」は、聖書においては、しばしば人の死の象徴として語られており、ゴッホ自身も死のイメージとして好んで麦畑の主題を描いている。画中の黒い鳥がカラスだったとすれば「不吉な死」を表した絵という解釈も成立することになり、非業の死を遂げた芸術家のイメージに相応しい主題となる。また後年に出版された複数のゴッホの伝記中では画家の生涯を殉教の聖人伝に当て嵌める記述がしばしば見られる。上記の理由から本作をめぐる一連の伝説(俗説)が生まれたものと推測される。 現代においてもこの絵は展覧会や画集の最後に置かれ、「厳密には絶筆ではないが」と断った上で「画家の制作活動を締めくくるものとして相応しい」と結ばれることが多い。しかし一方では固定化された解釈からの解放を目指した脱神話化の動きもある。1990年にBBCが製作したテレビドラマ『ファン・ゴッホ』では、ゴッホはカラスのいる麦畑では死なない。同年のロバート・アルトマン監督の映画『ゴッホ』(原題は『フィンセントとテオ』)でもこの絵を絶筆扱いにはしていないが、死の床の場面では部屋の隅にこの絵が置いてあるという演出がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カラスのいる麦畑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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