|
『ルパン三世 カリオストロの城』(ルパンさんせい カリオストロのしろ)は、モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』の劇場映画第2作。宮崎駿の映画初監督作品。1979年12月15日公開。 公開時のキャッチコピーは、「前作をしのげないのなら 2作目を作る意味がない」、「巨大な城が動き始める! 影の軍団が襲ってくる!」、「生きては還れぬ謎の古城でついにめぐり逢った最強の敵!」。 == 概要 == 当初、東京ムービー新社は鈴木清順ら『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』(以下、『TV第2シリーズ』)や劇場版『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(以下、『ルパンVS複製人間』)の脚本家チームが執筆した脚本を元に大塚康生へ監督を依頼していたが、気乗りしない大塚は宮崎に監督就任を要請した。当時の宮崎は日本アニメーションで高畑勲らと『赤毛のアン』のレイアウトや場面設定を担当していたが、これを降板して1979年5月に制作準備に取りかかる。後の作品と同様、宮崎は脚本なしでイメージボードと絵コンテを描き始め、脚本は共同名義の山崎晴哉が手直しする形となった。のち山崎により集英社コバルト文庫からノベライズされている。 本来、大塚は『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』(以下、『TV第1シリーズ』)の作画監督で、宮崎と高畑も共に「Aプロダクション〔現・シンエイ動画〕演出グループ」の匿名でTV第1シリーズ後半の演出を担当していた。そのため、宮崎や大塚がデザインしたキャラクターや小道具、イメージボードは『TV第1シリーズ』に準じており、『TV第2シリーズ』や『ルパンVS複製人間』では赤だったルパンのジャケットが『TV第1シリーズ』と同じ青緑色に戻され、ルパンの車も『TV第2シリーズ』のアルファロメオではなく『TV第1シリーズ』後半に登場したフィアット・500になっている。 なお、1997年に放送されたTVスペシャルの第9作である『ルパン三世 ワルサーP38』のワンシーンにて、本作の敵役であるカリオストロ伯爵に関する資料が登場しており、カリオストロ伯爵が1956年生まれで、死亡した(つまり本作のストーリーが起こった)のが1996年である事が明かされているが、『カリオストロの城』本編内で、不二子がルパンにフランスの新聞LeMonde(ル・モンド)の切り抜きを届けるシーンがあり、そこには「12 septembre 1968」と明記されているので、これが誤表記などで無い限り本作の時代設定は1968年であるのが本来は正しい(仮に作中年代が劇場公開年度の1979年だとしても、カップ麺と百円ライター及びレーザーを除けば〔カップヌードルと百円ライターこと使い捨てライターの製品化は、それぞれ1971年と1975年である。ただしレーザーは1964年公開のスパイ映画『007 ゴールドフィンガー』でも登場しているので、サイズや性能はともかく、1968年に登場しても不思議ではない。〕、車両をはじめ劇中のテクノロジーは1970年代以前のものである)。 興行的には前作に及ばなかったが、後のテレビ放送や上映会などが繰り返されたこともあって人気が高まっていき、宮崎の演出やレイアウト手法はその後のアニメ業界に影響を与えることとなった。構想や製作の期間はわずか半年という短さであり、宮崎は「この作品で初めて自分の体力の限界を知った」と語っている。途中で製作期間内に終わらないと考えた宮崎は下水道でのシーンの絵コンテを書き直しており、不満を語っている。最終的に、製作は予定された期間より1か月延びている。 2014年5月9日には、デジタルリマスター版が東宝映像事業部の配給で劇場公開された。原版の映像に映り込んだ汚れやゴミの除去、音声のノイズの除去、5.1chサラウンドへの再録音等のリマスター化に3年が費やされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルパン三世 カリオストロの城」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Castle of Cagliostro 」があります。 スポンサード リンク
|