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カルバ (アラビア語:كلباء) はアラブ首長国連邦の都市である。 オマーン湾に面するフジャイラの南にあるシャルジャの飛び地である。オマーンとの国境地帯にあるホール・カルバはアラブ首長国連邦の主要なマングローブ原生林かつ、自然保護区である。カルバは16世紀にポルトガル海上帝国の植民地となり、'Ghallah' と呼ばれていた。1811年3月にマスカットのスルタンに占領されオマーン帝国の支配下となり、反海賊勢力の拠点となった。英国に承認される1936年から、シャルジャに併合される1951年までトルシャール・オマーンの首長国であった。 ホール・カルバはシュルークによる観光地化(エコツーリズム)の為、現在閉鎖されており、一部の保護活動家や環境保護論者はこれに対し、懸念を表明した。 == 歴史 == マジド・ ビン・スルターン・ビン・サクル・アル・カーシムはシャマリーヤ地方を(カルバを含む)を彼の兄であるシャルジャ首長のサーリム・ビン・スルターン・アル・カーシミから賜った事からカルバの統治は始まった。カルバは、マジド・ビン・スルターンの二人の息子・ハマド・ビン・マジドと、アフマド・ビン・マジドの共同統治で続いた。 ハマドの息子のサイードが1902年にフジャイラの独立の際に彼の父・ハマドの後を継いで首長となった。一時期サイード・ビン・ハマドはカルバの統治を彼の奴隷のバルートに任せてアジュマンに引っ越したが、1920年代に、サイードはカルバの統治に戻り1936年には英国にカルバ首長国として認められ飛行場を設立し、インペリアル航空がアルマハッタとカルバを結ぶ臨時航路を就航させた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カルバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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