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カルロス・ケイロス(Carlos Manuel Brito Leal Queiroz、1953年3月1日 - )は、ポルトガル領東アフリカ(現在のモザンビーク)・ナンプラ出身でポルトガル国籍のサッカー指導者。 == 来歴 == 若くして現役を退き、指導者の道に進む。「黄金世代」と呼ばれたU-20ポルトガル代表を率いて1989年と1991年のFIFAワールドユース選手権を連覇した。その実績を買われてポルトガルA代表監督に就任したが、1994年FIFAワールドカップ出場を果たせず解任された。 1996年後半、アーセナルに移籍したアーセン・ベンゲルの後任として名古屋グランパスエイトの監督に就任。翌年のセカンドステージ途中まで率いた。 1999年、南アフリカ代表監督に就任。日韓ワールドカップのアフリカ予選を突破し出場権を獲得したものの、大会直前の2002年2月に解任された。2002年の秋にマンチェスター・ユナイテッドのアシスタントコーチに就任。途中、2003年から2004年までレアル・マドリードの監督に就任したが、リーグ戦4位という成績と無冠に終わり解任される。解任後はマンチェスター・ユナイテッドのアシスタントコーチに復帰した。 2008年から再びポルトガル代表監督を務め、南アフリカワールドカップではベスト16に進出した。しかし2010年5月、同チームへのドーピング検査に反発したことでポルトガルサッカー連盟およびアンチ・ドーピング機構からベンチ入り禁止処分を受け、処分期間中の同年9月に解任された〔ポルトガル、ケイロス監督を解任 後任は未定 共同通信 2010年9月10日閲覧〕。 2011年4月、イラン代表監督に就任。ブラジルワールドカップのアジア予選を突破し出場権を獲得した。2014年までの契約でイランのメヘル通信によると、推定年俸は約170万ドル(約1億4000万円)〔前ポルトガル代表監督のケイロス氏がイラン監督に スポーツニッポン 2011年4月4日閲覧〕。 2015年3月20日、イラン代表監督を辞任した〔イラン代表ケイロス監督、外部からの「圧力」を理由に辞任 AFP BBニュース 2015年3月21日閲覧〕が、後に和解し4月に 再び就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カルロス・ケイロス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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