翻訳と辞書
Words near each other
・ カルロ・カッラ
・ カルロ・カンポガリアニ
・ カルロ・カーリー
・ カルロ・ガリーリオ
・ カルロ・ガレッティ
・ カルロ・ガンビーノ
・ カルロ・キティ
・ カルロ・ギンズブルク
・ カルロ・ギンズブルグ
・ カルロ・ギンヅブルグ
カルロ・クディチーニ
・ カルロ・クリヴェッリ
・ カルロ・クレリーチ
・ カルロ・グランテ
・ カルロ・コッチャ
・ カルロ・コッローディ
・ カルロ・コロディ
・ カルロ・コローディ
・ カルロ・ゴッツィ
・ カルロ・ゴルドーニ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カルロ・クディチーニ : ウィキペディア日本語版
カルロ・クディチーニ

カルロ・クディチーニ(Carlo Cudicini, 1973年9月6日 - )は、イタリアロンバルディア州ミラノ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパーACミラン等で活躍した元イタリア代表ゴールキーパーのファビオ・クディチーニを父に持つ。
==経歴==
1991年に父ファビオが活躍したイタリアの名門、ACミランでキャリアをスタートさせる。セリエAでの出場はSSラツィオ在籍時の1試合のみだったが、活躍の場をイングランドに移してから、その能力が高く評価されることとなった。
1999年に同じイタリア人であるジャンルカ・ヴィアリ監督の率いるチェルシーFCにレンタル移籍。完全移籍した翌2000-2001シーズンには、同じくイタリア人であるクラウディオ・ラニエリ監督の信頼を得て、エド・デ・フーイを抑えて正GKの座を勝ち取った。至近距離からのシュートへの反応の鋭さは目を見張るものがあり、チームの守護神として欠かせない存在になっていった。ファンからの信頼も厚く、2001-2002シーズンにはファン投票によるチームの最優秀選手に選ばれている。
2002-2003シーズンには、プレミアリーグ年間最優秀ゴールキーパーの証である「ゴールデングラブ賞」を受賞。さらにはイングランド代表であるデビッド・シーマンの後継者としてクディチーニのイングランド国籍取得を望む声が上がるなど、リーグ屈指のGKとして評価されていた。
結局、クディチーニ本人がイングランド代表入りに興味を示すことはなく、イタリア代表の座を目指しプレーを続けたが、イタリア代表としてはジャンルイジ・ブッフォンフランチェスコ・トルドら実力者の存在の前に出場機会が訪れることはなかった。
チェルシーの守護神の座は不動のものであると思われていたが、2004-2005シーズンにその状況は一変する。新監督のジョゼ・モウリーニョと共にやって来たチェコ代表ペトル・チェフにポジションを奪われ、出場機会を大きく減らした。そんな中クディチーニには他チームから多くのオファーが寄せられたが、それらを全て断ってチェルシーに残留。チェフが欠場した際には安定したプレーを披露し、長らく第2GKとしてチームを支える存在となっていた。
2009年1月26日に約10年間在籍したチェルシーを去り、同じロンドントッテナム・ホットスパーFCへと移籍。ここでも第2GKとして、ゴメスの欠場時に穴を埋める働きをしている。
11月12日、ロンドン市内でバイクを運転中に乗用車と激突〔クディチーニが交通事故で病院へ搬送 Goal.com、2009年11月13日〕。両腕の骨折と骨盤の損傷という重傷を負い、2009-2010シーズンを棒に振るだけでなく一時は選手生命も危ぶまれたが、11月16日に手術を受けて無事成功し、長きにわたるリハビリの末に2010年7月10日AFCボーンマスとのプレシーズンマッチで復帰〔〕。2010-2011シーズンはゴメスの不調もあり終盤戦はレギュラーとして出場した。2011-2012シーズンはアストン・ヴィラから加入したブラッド・フリーデル、ゴメスに次ぐ第3GKと目されていたが、ゴメスは前シーズンにミスを連発したためハリー・レドナップ監督の信頼を失ってベンチ外になる試合が多く、引き続き第2GKとして起用された。2012-13シーズンはウーゴ・ロリスの加入により第3GKとなっている。
2012年12月31日アメリカロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍〔LAギャラクシー、トッテナムからクディチーニを獲得 Goal.com 2013年1月1日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルロ・クディチーニ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.