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カロル・クチェラ(Karol Kučera, 1974年3月4日 - )は、スロバキア・ブラチスラヴァ出身の男子プロテニス選手。2005年度の男子テニス国別対抗戦・デビスカップで、同僚のドミニク・フルバティとともに、スロバキア・チームを史上初の「ワールドグループ」決勝戦に導いた。シングルス自己最高ランキングは6位。ATPツアーでシングルス6勝を挙げた。身長187cm、体重77kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 == 来歴 == 1992年にプロ入りし、1993年の全仏オープンで4大大会に初出場。1994年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのスロバキア代表選手になる。1993年にチェコスロバキアが連邦解体したことにより、チェコ共和国とスロバキア共和国が独立国家となり、「スロバキア」チームとしてのデビスカップ初参加は1994年であった。クチェラはスロバキア・チームの発足当初から、国の代表選手として活動を続けてきた。1995年6月にオランダ・ロスマレンの大会でツアー初優勝を果たす。 クチェラのテニス経歴のハイライトは、1998年全豪オープンのベスト4進出であった。この時クチェラは、準々決勝で当時の世界ランキング1位であったピート・サンプラスを 6-4, 6-2, 6-7, 6-3 で破ったが、続く準決勝でペトル・コルダに 1-6, 4-6, 6-1, 2-6 で敗れ、決勝進出を逃した。この年は全米オープンでもベスト8進出があり、これで世界ランキングを自己最高の6位に上げる。同年11月、男子テニスツアーの年間最終戦で、世界ランキング上位の8名しか出場資格を得られない「ATPツアー世界選手権」(現在の名称は「ATPワールドツアー・ファイナル」)の出場権も獲得した。 その後は1998年度のような好成績は出せなかったが、2003年2月にデンマーク・コペンハーゲンの大会でツアー6勝目を達成する。2005年のデビスカップで、スロバキア・チームは初めて世界最上位の16ヶ国で構成される「ワールドグループ」の決勝戦に進出し、12月2日-4日にスロバキアの首都・ブラチスラヴァでクロアチアと対戦した。クチェラは第1試合のシングルスでイワン・リュビチッチに敗れ、スロバキア・チームは地元の声援を生かせずに、クロアチアに「2勝3敗」で敗れてデ杯初優勝を逃した。この試合の後、クチェラは現役引退を表明し、13年のテニス人生に終止符を打った。 カロル・クチェラはオリンピックのスロバキア代表選手としても、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪の3度出場を果たしている。 引退後は指導者として活動しており、スロバキアの後輩選手マルティン・クリザンのコーチを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カロル・クチェラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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