翻訳と辞書
Words near each other
・ カンディア・カナヴェーゼ
・ カンディア・ロメッリーナ
・ カンディアーナ
・ カンディア島
・ カンディオーロ
・ カンディダ
・ カンディダ・アリアス
・ カンディディモナス
・ カンディド・ビド
・ カンディド・ヘスス
カンディド・ポルチナリ
・ カンディド・ポルチナーリ
・ カンディド・ラミレス
・ カンディヨーハイ郡 (ミネソタ州)
・ カンディル
・ カンディン
・ カンディンスキー
・ カンディ・アレキサンダー
・ カンディード
・ カンディードニ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カンディド・ポルチナリ : ウィキペディア日本語版
カンディド・ポルチナーリ

カンディド・ポルチナーリCandido Torquato Portinari1903年12月30日 - 1962年2月6日)は、サンパウロ州生まれのブラジル画家。Candidoをカンディドとするのはポルトガル語読みで、ブラジルポルトガル語読みではカンヂードと表記する。
== プロフィール ==

=== 生い立ち ===
ポルチナーリは、サンパウロ州ヒベイロン・プレート市サンタ・ホザ(Santa Rosa)にあるコーヒー農園のイタリア系移民の12人兄弟の2番目の子どもとして生まれた。その後近くのプロドスキー(Brodowski)に居を移し、両親は小さな雑貨店を営み、彼はここで少年時代を過ごす。幼少の時から絵の才能を周囲に認められていた彼は、16歳の時、絵を学ぶ為にリオ・デ・ジャネイロに行き、国立芸術学校(Escola Nacional de Belas Artes)で学ぶ。
1928年に、第35回芸術学校展覧会にて『オレガリオ・マリアーノ(Oregario Mariano)の肖像』で金賞を受賞し、ヨーロッパ旅行の権利を得、イタリアイギリスフランススペインなどに滞在する。滞在中友人に、後に『パラニンの手紙(Carta do Palaninho)』と呼ばれる手紙を書く。その中で彼はパラニンが故郷ブロドスキーにいた普通の人であるのにもかかわらず、思い出さずにはいられない心境を述べる。「ここからだと、自分の故郷がもっとよく見える。自分は、これからは(故郷に居た)あのパラニンを描こう。いつもの服を着た彼らをありのままの色で描こう。」と決心を語る。その後、この言葉通り彼は生涯を通じて故国ブラジルの姿を描いていく。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カンディド・ポルチナーリ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.