翻訳と辞書
Words near each other
・ カンピオナート・セアレンセ
・ カンピオナート・セルジパーノ
・ カンピオナート・トカンチネンセ
・ カンピオナート・バイアーノ
・ カンピオナート・パウリスタ
・ カンピオナート・パライバーノ
・ カンピオナート・パラエンセ
・ カンピオナート・パラナエンセ
・ カンピオナート・ピアウイエンセ
・ カンピオナート・ブラジリエンセ
カンピオナート・ブラジレイロ
・ カンピオナート・ブラジレイロ2部
・ カンピオナート・ブラジレイロ3部
・ カンピオナート・ブラジレイロセリエB
・ カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA
・ カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA2015 日程・結果
・ カンピオナート・ブラジレイロ・セリエB
・ カンピオナート・ブラジレイロ・セリエC
・ カンピオナート・ブラジレイロ・セリエD
・ カンピオナート・プリマヴェーラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カンピオナート・ブラジレイロ : ウィキペディア日本語版
カンピオナート・ブラジレイロ

カンピオナート・ブラジレイロ(''Campeonato Brasileiro'')は、ブラジルの国内サッカーリーグ。ブラジルサッカー連盟(CBF)によって組織、運営される。日本語では、しばしばブラジル全国選手権として言及される。
==リーグ史==
1960年に「リベルタドーレスカップ」が南米サッカー連盟主催により、同連盟加盟10カ国のリーグ優勝チームを初めとした上位クラブで争われることが決まり、それのブラジル代表決定戦として1959年に、各州ごとに行われるリーグ戦の上位チームを対象とした「タッサ・ブラジル(Taça Brasil)」というブラジルチャンピオンを決定するカップ戦が始まった。これが礎である。
その後1967年に「タッサ・ブラジル」とは別のブラジルチャンピオン決定戦「トルネイオ・ロベルト・ゴメス・ペドローザ(タッサ・デ・ブラッタ Torneio Roberto Gomes Pedrosa)」が設立され、1968年までは並行開催であったが、1969年からは後者のみとなった。そして1971年に他の南米・ヨーロッパ諸国と同じように、本格的な全国リーグを立ち上げることになり、それらを発展解消して「カンピオナート・ブラジレイロ」が1部・2部の2ディビジョンでスタートを切った。
1972年頃から1980年代はCBFが1部リーグの拡大路線を推進し、1部リーグの参加チームが80を超えるという異例の事態となった(この影響で1973年-1979年は2部リーグが一時休止となった)。これを受けてブラジルの主力13クラブが抗議。1979年には一部クラブが出場を辞退したほか、1987年は主力13クラブによる「コパ・ウニオン」と、CBF主催の「カンピオナート・ブラジレイロ」がそれぞれに16チームずつ参加という形で2リーグに分裂してしまった。この年は結局統一王座決定戦が行われなかったため1部リーグは2チーム優勝という形式となったが、その後CBFと主力13クラブがチーム数を20前後で削減することで合意し、以後1部リーグは年度にもよるが20-22チームで争われるようになる。
しかし、1999年1部リーグにおける降格ルールが複雑であったのと、サンドロ・ヒロシ年齢詐称事件により、SEガマがこのルールによるサンパウロFC没収試合がなければ2部降格を免れたはずが、降格が決定したことにより再びCBFと対立。2000年はCBF主催を断念し、クラブ主導による「コパ・ジョアン・アヴェランジェ」を全国リーグに充てたが、2001年に再び和解し、今日に至る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カンピオナート・ブラジレイロ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.