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カンブレー二重結婚(蘭:Dubbelhuwelijk van Kamerijk)は、1385年4月12日にカンブレーにおいて挙行された、2組の夫婦の政略結婚のことである。ブルゴーニュ公国領の拡大政策において、重要な布石となった。 二重結婚はヴァロワ=ブルゴーニュ家と、エノー伯領・ホラント伯領・ゼーラント伯領の3伯領を所有するバイエルン公爵諸家(ヴィッテルスバッハ家)の分枝の一つとの間で結ばれた。ブルゴーニュ公フィリップ(豪胆公、ル・アルディ)と、3伯領の領主であるバイエルン公アルブレヒト1世が、互いの子女を縁組させ、同盟関係を結んだのである。2組の夫婦は以下の通り。 *ブルゴーニュ公の長男ジャン(無怖公、サン・プール)(1371年 - 1419年)とバイエルン公の三女マルグリット(1363年 - 1423年)。 *ブルゴーニュ公の長女マルグリット(1374年 - 1441年)とバイエルン公の長男ヴィルヘルム2世(1365年 - 1417年)。 彼らの婚礼は欧州規模で注目された一大慶事となり、2万人を超える参列者が集まったという。ブルゴーニュ家側の兄妹の従兄にあたるフランス王シャルル6世も参列し、非常に贅を尽くした結婚披露宴が催され、祝宴は8日間続いた。 この二重結婚による両家の血族関係の構築は、後にシュトラウビンク=ホラント家の相続人が絶えた際、ブルゴーニュ家が相続権を請求する根拠となった〔堀越孝一 『ブルゴーニュ家』 講談社現代新書、1996年、P52〕。1428年、ヴィルヘルム2世夫妻の一人娘でシュトラウビンク家の最後の末裔となったジャクリーヌ・ド・エノーは、を結んだ際にエノー・ホラント・ゼーラントの3伯領の相続者として、ジャン無怖公夫妻の長男で従兄にあたるフィリップ(善良公、ル・ボン)を指名した〔堀越、P59〕。 4年後の1432年、ジャクリーヌが約定を破ってとの結婚に踏み切ると、フィリップ善良公は3伯領を占領し、領国の一部に組み込んだ。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カンブレー二重結婚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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