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カンボジア最高国民評議会 : ウィキペディア日本語版
カンボジア最高国民評議会[かんぼじあさいこうこくみんひょうぎかい]

カンボジア最高国民評議会(カンボジアさいこうこくみんひょうぎかい、)は、かつて存在したカンボジアの統治組織。略称はSNC
== 概要 ==

=== SNC発足前 ===
1987年に始まるカンボジア和平交渉において、争点の一つが総選挙前の政権解体問題であった。ヘン・サムリン政権は、同政権下における選挙の実施を主張し、反ベトナム三派は同政権解体と四派暫定連合政府による選挙の実施を主張していた〔冨山(1992年)、109ページ。〕。1988年7月の第1回ジャカルタ協議において、ヘン・サムリン政権のフン・セン首相は、シハヌークを議長とし四派で構成される「民族和解評議会」を設置して、同評議会が選挙を実施する譲歩案を示したが、政権の解体は拒否した〔冨山(1992年)、110ページ。〕。一方、シハヌークは総選挙前の四派連合政府の樹立と、政権の行政機構は維持して徐々に四派体制に移行する譲歩案を提示したが〔冨山(1992年)、110ページ。〕、合意には至らなかった。
最高国民評議会 (SNC) 設置案は、1990年1月の国連安保理常任五ヶ国によるカンボジア問題次官級会議で生まれ〔冨山(1992年)、160ページ。〕、同年2月のジャカルタにおける「カンボジア問題非公式協議」においてオーストラリアが用意した作業文書に示された。文書によれば、(1)四派が全政府権限を主権象徴機関「最高国民評議会」に委託して、(2)評議会は全政府権限を国連事務総長に移譲し、(3)事務総長は特別代表を通して権限を行使する、というものであった〔冨山(1992年)、148-149ページ。〕。これにより、「ヘン・サムリン政権存続か、四派暫定政府樹立か」という対立点を回避しようとした〔冨山(1992年)、149ページ。〕。
1990年6月に開催された「カンボジアに関する東京会議」において、新国家発足までの主権代表機関としてのSNCを、ヘン・サムリン政権と三派政権で同数のメンバーで構成ことで合意する。ポル・ポト派は同会議をボイコットしたが、中国の説得により譲歩し、9月にはシハヌークを議長とすることを条件にヘン・サムリン政権6人と三派政権6人の構成を受け入れ〔冨山(1992年)、160ページ、169-170ページ。〕、これにより9月10にSNCは発足した〔「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定 」前文〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カンボジア最高国民評議会」の詳細全文を読む



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