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カンボジア王国民族連合政府 : ウィキペディア日本語版
カンプチア王国民族連合政府[かんぷちあおうこくみんぞくれんごうせいふ]

カンプチア王国民族連合政府(カンプチアおうこくみんぞくれんごうせいふ、、GRUNKと略される)とは、1970年から1976年まで北京に存続していたカンボジア亡命政府である。この政府は実際に、1975年から1976年までカンボジアを統治していた。
カンプチア王国民族連合政府は、亡命していた国家元首ノロドム・シハヌークの支持者、そしてカンボジア共産党(シハヌーク自らが命名したクメール・ルージュという名で広く知られる)の連立によって成立した。それは1970年のカンボジアクーデターによってシハヌークが追放された直後に、シハヌークのサンクム(人民社会主義共同体)政府を相手に戦ってきた数百のクメール・ルージュ反乱者や、中国の支持と共に創られた。
== カンプチア王国民族連合政府の形成 ==

1970年3月、シハヌークは、ロン・ノル首相やシリク・マタク副首相、そして国会議長といった、自身が元首を務める政府内の右派勢力が指導するクーデターで追放された。クーデター時にはシハヌークは外遊中であり、3月23日に北京においてラジオで国民に民族統一戦線の設立を宣言し、クーデターに対して大規模な蜂起を呼び掛けた。
シハヌークが亡命政権形成に至った経緯についての当時の説明は、後に解説されたものと内容が異なっている。当初の説明では彼は、モスクワから北京に向かう飛行機の中で、民族連合政府の形成を決意し、そしてラジオ宣言の3日後、1960年代にシハヌークのサンクムに参加していた「クメール・ルージュを指導する…3人の卓越した知識人」、と、そしてキュー・サムファンからメッセージを受け取り喜んだ、と述べている〔Norodom Sihanouk, ''My War with the CIA'', Random House, 1973, p.62〕。
実際は、シハヌークは次にどこに移動するのか不明確なまま北京に到着し、3月21日北ベトナムの首相ファム・ヴァン・ドン周恩来との極秘会談を行った。周はかねてからシハヌークの支持者であった。シハヌークは最終的に、それまでの数十年と同様に、カンボジア国内の共産主義者と手を組む決意をした。彼自身のプライド、ロン・ノルへの復讐心、そしてクーデターに於けるアメリカ合衆国の介入疑惑がこの決定を後押ししたと指摘されている〔Shawcross, W. ''Sideshow: Kissinger, Nixon, and the
Destruction of Cambodia'', Simon & Schuster, 1979, p.125〕。後にシハヌークは述べた。「アメリカ人や共産主義者とは組まないと、私は選択していた…しかし私に彼らのどちらかを選ぶように強いたのは、ロン・ノルだった」〔。
カンプチア王国民族連合政府は5月5日に正式に発表され、直ちに中国によって承認された。
シハヌーク下のカンプチア王国民族連合政府の形成は、クメール・ルージュ指導部に対し、国際的な承認、そしてカンボジア農民の支持という2つを獲得する道を与えた。カンボジアの農民は完全な王党派・保守派だったのであるが、シハヌークを追放したロン・ノルのクメール共和国を相手に戦っていたため、民族連合政府の支持に回った。地方のカンボジア人は、シハヌークの名前に引き付けられ、またアメリカの爆撃に起因する惨事に怒っていたため民族連合政府に接近し、クメール・ルージュは一気に膨張した。シハヌークにしてみれば、共産主義者の支持で力を回復することによって、北ベトナム(北ベトナム軍がカンボジアの地方部を占領していたのであったが)の、そして中国の支援を確保する為の試みを続ける事ができるようになった。しかしながら、クメール・ルージュ内部のより強硬な勢力が、シハヌークの最終的な除去を求め得る事は、シハヌークも意識していたと考えられる。従って、彼の計画は「国家の統一」運動にアメリカの支持を取り付ける事に成否が掛かっていた。ニクソン政権がロン・ノルを支持すると表明していたので、これは勝ち目のうすい博打であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 GRUNK 」があります。



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