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カーク・ハロルド・ギブソン(Kirk Harold Gibson , 1957年5月28日 - )は、アメリカ合衆国・ミシガン州ポンティアック出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 現役時代は主にデトロイト・タイガース、ロサンゼルス・ドジャースで活躍。アリゾナ・ダイヤモンドバックスで2010年シーズン途中より監督代行に就任し、2011年より正式に監督に就任して2014年まで務めた。 == 経歴 == === 最初のタイガース時代 === ミシガン州立大学では野球の他にアメリカンフットボールでもワイドレシーバー(WR)として全米大学チームに選出されるほどの活躍を見せた。大学卒業時にはMLBのデトロイト・タイガースとNFLのセントルイス(現在はアリゾナ)・カージナルスの両方からドラフト指名を受けたが、野球を選択。タイガース入りして9月8日にメジャーデビューを果たす。には右翼手のレギュラーとなり、にはチームが地区優勝し、ア・リーグチャンピオンシップシリーズではMVPに選出される活躍を見せ、チームをワールドシリーズに導く。ワールドシリーズでもサンディエゴ・パドレスを破り、ワールドチャンピオンに輝いた。タイガースが3勝1敗と王手をかけたタイガースタジアムでの第5戦、8回表にパドレスが1点を返して1点差に迫ったその裏、ギブソンはパドレスのリリーフエース、リッチ・ゴセージ(にアメリカ野球殿堂入り、ダイエーでもプレー)から4点差と引き離すダメ押しの3ランホームランを打ち、シリーズの趨勢を決する一打となった。 1984年は27本塁打・29盗塁を記録し、ワールドチャンピオンも経験した。 は29本塁打、30盗塁で惜しくも「The 30-30 club」(30本塁打30盗塁)を逃す。この年のオフにフリーエージェント(FA)となる。去就が注目されたが、当時は各球団のオーナーが共謀してギブソンのような高額フリーエージェントとの契約を避けたために良いオファーが得られず、旧所属球団との交渉期限となる1月8日にタイガースと再契約。このシーズンも28本塁打34盗塁と惜しくも「30-30」を逃し、結局引退まで30-30は達成できず終いとなった。も24本塁打を打ってチームの地区優勝に貢献。その年のオフに、1985年から1987年にかけてのオーナーの共謀が反トラスト法違反とみなされ、ギブソンも再度FAが認められ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。1987年には、フロリダ州レイクランドで自家用セスナ機(セスナ 206)で標高25,200フィート(約7,500m)を飛び、全米飛行家協会公認の最高記録を達成した。 タイガース時代の監督スパーキー・アンダーソンはチーム事情のためにギブソンのメジャー昇格が早まってしまったことを後に悔やんでいる。もう少し経験を積ませてからの方がよい成績を収められたと語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カーク・ギブソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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