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カート・アボット : ウィキペディア日本語版
カート・アボット

カート・アボットKurt Thomas Abbott, 1969年6月2日 - )は、メジャーリーグベースボールの右投右打の内野手アメリカ合衆国オハイオ州出身。
== 経歴 ==
にドラフト15巡目でオークランド・アスレチックスに入団。しかしアスレチックスではメジャー初出場を果たしたに20試合に出場しただけで、シーズン終了後の12月20日フロリダ・マーリンズへとトレードされた。移籍1年目のはMLBストライキの影響もあって101試合の出場にとどまったが、ショートのレギュラーに定着。翌も120試合に出場し、17本塁打を記録した。
5月、後にオールスター選手となるエドガー・レンテリアがマーリンズに加入。これによりショートの定位置はアボットからレンテリアへと移ることとなった。
するとアボットはショートだけでなくセカンド、サードも務めるなどユーティリティープレイヤーとして存在感を発揮し、シーズンでは109試合に出場した。には前年に守った3ポジションに加え、メジャー1年目以来となるレフトも守るなど更に活躍の場を広げ、打撃でもメジャーでは自己最高となる打率.274を記録した。この年チームはワールドシリーズへ進出。自身初となるワールドシリーズの舞台で3試合に出場を果たし、マーリンズ史上初のワールドチャンピオンのメンバーとなった。
こうしてマーリンズで安定した働きを見せていたアボットだったが、1997年のシーズン終了後に古巣のアスレチックスへとトレードされる。しかし迎えたは、アスレチックスでは35試合にしか出場出来ず、6月にトレードで今度はコロラド・ロッキーズへと移籍。しかしロッキーズでも出場機会には決して恵まれなかった。結局この年もアスレチックスで4つのポジション、ロッキーズで5つのポジションを守るなど、やはりユーティリティープレイヤーとしての働きが中心となった。
続くは、前年にロッキーズでセカンドのレギュラーを務めたマイク・ランシングが戦線を離脱。この年打撃好調だったテリー・シャンパートと出場機会を分けあったが、セカンドではチーム最多の66試合に起用された。またこの年はその他にショートとライト、加えてメジャーでは自身初となるファーストとセンターも守ってみせた。
1999年のシーズンオフにフリーエージェントとなったアボットは、年が明けた1月26日ニューヨーク・メッツと契約した。メッツでもショートとセカンドを中心に控えの内野手としてプレイ。シーズンでは79試合に出場し、また自身2度目となるワールドシリーズでも5試合に出場を果たした(この年はワールドチャンピオンには輝いていない)。
シーズン終了後に再びフリーエージェントとなったアボットは、1月8日アトランタ・ブレーブスに入団。しかしブレーブスでは6試合にしか出場出来ず、マイナーリーグでも6試合にしか出場出来なかった。その後ともチームを代えてマイナーリーグでプレイしたが、試合に出ることさえままならない状態が続き、2003年限りで現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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