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カート・ドナルド・コバーン(Kurt Donald Cobain、1967年2月20日 - 1994年4月5日)は、アメリカのミュージシャン、ソングライター。ロックバンド・ニルヴァーナのボーカリスト兼ギタリストとして知られる。 姓について日本では「コバーン」という発音・表記が多いが、発音は「」、または「」であり、「コベイン」とするほうが近い。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第45位。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第12位、2011年の改訂版では第73位。 「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第7位。 ==経歴== === 生い立ち === 1967年2月20日、アイルランド及びフランス系の自動車整備工ドナルド・リーランド・コバーンと、イングランド及びドイツ系のウェイトレスのウェンディ・フレイデンバーグ夫妻の間に誕生〔Cross, p. 7〕〔Azerrad, p. 13〕。ビートルズが大好きで、絵の上手な子供だったという。幸せな幼年期を送っていたが、1975年に両親が離婚したことで大きな精神的衝撃を受ける。その影響からかカートは内向的で、引きこもりがちな少年に変わってしまった。カートは、その後も父親に棄てられたという感覚を拭い去ることができなかったという。 離婚後、最初は父の元へ引き取られる。トレーラーハウスの中で、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて育ち、自身の音楽に強く影響を与えた、と後に何度かインタビューで語っている。 学校では友達を作らず、図書館で主にチャールズ・ブコウスキーなどの本を借り、それを読んで過ごしていた。その中でウィリアム・バロウズの『裸のランチ』と出会い、後の人生、歌詞、両面において強い影響を受ける〔後に晩年期のバロウズと対面を果たし、バロウズのポエトリーディングとカートのフィードバックギターによる競演を行った(『the "Priest" they called him』としてCD化されている)。〕。 ハイスクール在学中、パンクバンド、メルヴィンズのリーダー、バズ・オズボーンと出会う。バズ・オズボーンから貰ったテープ〔ブラック・フラッグ、ミリオンズ・オブ・デッド・コップス、フリッパーなどが入っていた。中でもブラック・フラッグによる「ダメージドII」、フリッパーによる「サクリファイス」に強く衝撃を受けた、と後のインタヴューで語っている。〕を聴き、パンク・ロックに興味を抱き音楽を始める。最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、当初はAC/DCやレッド・ツェッペリンなどの曲を練習していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カート・コバーン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kurt Cobain 」があります。 スポンサード リンク
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