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カーボベルデ独立アフリカ党 : ウィキペディア日本語版
カーボベルデ独立アフリカ党[かーぼべるでどくりつあふりかとう]

カーボベルデ独立アフリカ党(カーボベルデどくりつアフリカとう、)は、カーボベルデ社会民主主義政党1975年のカーボベルデ独立以来、1991年まで一党支配を行った。
かつては社会主義一党制に基づきカーボベルデを統治していたが、現在は複数政党制の中で中道左派の有力政党となっている。中道左派社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟〔List of member parties of the Socialist International in Africa .社会主義インターナショナル 2009年11月2日閲覧。〕している。

==PAIGC時代==
''ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党も参照のこと''
1956年ポルトガル領ギニア(現ギニアビサウ)とポルトガル領カーボベルデの独立を目指し、アミルカル・カブラルによってギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)が設立された。カーボベルデにはPAIGCの支部が置かれ、ポルトガルに対してゲリラ戦を中心に解放闘争を繰り広げた。
PAIGCは将来的にギニアビサウとカーボベルデが独立した暁には、両地域を統合することを目指していた。1974年にポルトガル本国がカーネーション革命を経て植民地主義を放棄すると、同年にギニアビサウの独立が承認(独立宣言は1973年)され、1975年にはカーボベルデも独立を果たした。
独立後の両国ではPAIGCが社会主義政権を樹立し、一党制を敷いた。ギニアビサウではアミルカル・カブラル(1973年暗殺)の弟ルイス・カブラル、カーボベルデではアリスティデス・ペレイラがそれぞれ初代大統領に就任し、両国の統合計画を進めたが、1980年にギニアビサウでジョアン・ヴィエイラ首相率いる軍事クーデターが発生すると、ギニアビサウとカーボベルデの関係は緊張。統合計画は白紙に戻った。そして翌1981年1月、PAIGCのカーボベルデ支部は分離し、カーボベルデ独立アフリカ党(PAICV)が成立した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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