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カーマイン・アピス(Carmine Appice, 1946年12月15日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。ハードロックの分野におけるドラミングのパイオニアの一人。個性的かつ特徴的なロックフィルを生み出し、ジョン・ボーナムやコージー・パウエルら後進のドラマーに影響を与えた。 ギターアンプの大音量化が急激に進んだことにあわせ、マッチド・グリップでのハードヒット奏法をはじめとするヘヴィ・ドラミングを確立。ロックドラムにツー・バス(バスドラムを2個使用)を取り入れたり、チャイナシンバルを取り入れ裏返してセッティングしたり、ベースアンプにバスドラムのマイクを突っ込んだり、スネアドラムにワウペダルを繋いだり、スティックを逆さに持ってグリップエンドにチップをつけたり、リニアグルーピング奏法(16分を6・6・4等の拍の組合せで組立て直すトリッキーな奏法)を取り入れたりするなど、先んじて新しい機材や技術を演奏に取り入れた。スティックトワリングも得意としており、スティック音も巧みにパーカッションに取り入れる。また、メインボーカルやバックグラウンドコーラスをとることも多い。 ドラマー以外での活動も多岐に渡り、作詞、作曲、アルバムのプロデュースも行っている。また、音楽教育にも熱心で、ロックドラマー向けの教則本出版の草分けでもあり、自ら教則関連の「パワーロック社」を設立している。教則本『Realistic Rock Drum Method』は全世界で30万部以上を売り上げた。このような、音楽活動の功績を称えられ、ロサンゼルスをはじめアメリカ国内の4都市で「カーマイン・アピスの日」が設けられている。 1991年にはハリウッド・ロック・ウォークに手形とサインが刻まれる栄誉が与えられた。デビュー40周年、60歳を越え、なお現役のドラマーである。 「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において36位。 == 経歴 == === 生い立ち === 1946年、ニューヨークのスタテン島の音楽一家に生まれる。父はジャズのサクソフォーン奏者で、弟は後にブラック・サバス、ディオなどで活躍するロックドラマーのヴィニー・アピス。幼少時から音楽に興味を持ち、とりわけバディ・リッチ、ジーン・クルーパに憧れていた。最初は親戚のドラムセットやおもちゃのドラムセットを叩いていたが、1961年、親にグレッチのセットを買ってもらい、ビッグバンド系のドラマーにドラムを習い始める。 1963年にルイ・ベルソンを見てツーバスに憧れるが、自らがそれを実現したのは1968年になってからであった。 高校在学中に、ドラマーを職業とする決心をする。ジャズドラムの練習をしながら、クラブでロックドラムを叩いたり、歌のバックバンドを勤めたりして過ごす。このころ、ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット等のビッグネームのバックを勤めたこともある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カーマイン・アピス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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