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カーム・バフシュ : ウィキペディア日本語版
カーム・バフシュ

カーム・バフシュ(Kam Bakhsh, 1667年3月6日 - 1709年1月14日)は、北インドムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの皇子。母はウダイプリー・マハル
==生涯==
1667年3月6日ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブの5男として生まれた〔Delhi 7 〕。母はダーラー・シコーの元妃であったウダイプリー・マハルである。
1698年12月から1699年6月まで、カーム・バフシュは不正を行ったとして、父アウラングゼーブの命により投獄されていた〔。
1707年2月16日、カーム・バフシュはビジャープル太守に任命され、ハイダラーバードへと移った〔。
同年3月3日、父アウラングゼーブが死亡し、兄ムアッザムがバハードゥル・シャー1世の名の下に即位すると、カーム・バフシュもこれに対抗して皇帝(パードシャー)を号した〔。
しかし、1709年1月13日にカーム・バフシュはハイダラーバードでバハードゥル・シャー1世の軍勢に敗北して重傷を負い(ハイダラーバードの戦い)、翌14日に死亡した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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