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カーライル伯 : ウィキペディア日本語版
カーライル伯爵[かーらいるはくしゃく]

カーライル伯爵()は、イギリス伯爵位。イングランド貴族
3回創設されており、現在の第3期のカーライル伯爵位は1661年ノーフォーク公爵ハワード家の分家にあたるチャールズ・ハワードが叙されたことに始まる。
ノーフォーク公爵ハワード家は代々カトリックであるが、カーライル伯爵ハワード家は代々プロテスタントである〔海保(1999) p.174〕。

== 歴史 ==

第一期のカーライル伯爵は、1322年に初代ハークレイ男爵(1270頃-1323)が叙されたのに始まる。彼はすでに1321年にハークレイ卿(Lord Harclay)として議会に召集されていた。しかし1323年に国王エドワード2世に独断でスコットランド王ロバート1世と講和したことを大逆罪として追及され、処刑のうえ爵位剥奪となったので、彼一代で終わった。
第二期のカーライル伯爵は外交官として活躍した(1590頃-1636)1622年9月13日に叙されたことにはじまる。彼はそれ以前に「ヘイ卿 (Lord Hay)」(1606年6月21日)、「ヨーク州におけるソウリーのヘイ男爵 (Baron Hay, of Sawley in the County of York)」(1615年6月20日)、「ドンカスター子爵 (Viscount Doncaster)」(1618年7月5日)に叙されていた。これらの爵位は初代伯の死後、唯一生存していた息子(1612-1660)に継承されたが、彼に男子ができかったため二代で絶家した〔。
第三期のカーライル伯爵位は第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワード(1536-1572)の三男(1563-1640)の曾孫にあたるチャールズ・ハワード(1629-1685)1661年に「ノーサンバーランド州におけるモーペスのハワード子爵 (Howard of Morpeth, of Morpeth in the County of Northumberland)」や「カンバーランド州におけるギルスランドのデイカー男爵(Baron Dacre of Gillesland, of Gillesland in the County of Cumberland)」とともに叙されたことにはじまる〔海保(1999) p.171〕。彼はピューリタン革命の際に議会軍の司令官を務め、共和政期にはクロムウェルの側近だったが、クロムウェルの死後、王政復古派に転じて投獄されていたため、王政復古後に上記の爵位を与えられたのだった。以降カーライル伯爵位は彼の男系男子によって継承されていく。
本家のノーフォーク公爵家がカトリックとして議会から排除され、政界で活躍できなかったのと対象的にプロテスタントのカーライル伯爵家は議会に議席を持ち続け、18世紀から19世紀にかけてホイッグ党政権下で閣僚職を歴任することが多かった〔海保(1999) p.173-174〕。3代伯爵チャールズ(1669-1738)ステュアート朝末期に第一大蔵卿を務めている〔海保(1999) p.173〕。5代伯爵フレデリック(1748-1825)はやアイルランド総督、、王璽尚書等を歴任し、アメリカ独立戦争中の1778年6月にはアメリカへの使節団(カーライル和平使節団)の団長も務めた〔今井(1990) p.347〕。6代伯爵ジョージ(1773-1848)はや王璽尚書等を歴任。7代伯爵ジョージ(1802-1864)は木材森林長官やアイルランド総督、などを歴任している。
第9代伯爵(1843-1911)はアマチュアの風景画家としても知られる。
第12代伯爵(1923-1994)は母(1870-1956)からスコットランド貴族爵位を継承した。
その息子である第13代カーライル伯爵(1949-)2015年現在の当主である〔。
18世紀初頭に3代伯爵チャールズは設計でヨークシャーハワード城を建設した。この邸宅はイギリス貴族の邸宅の中でも最も壮麗な建築物として有名である。同城は代々カーライル伯爵家に相続されたが、第11代伯爵(1895-1963)の代の1921年には財産分割で同家の所有を離れている〔海保(1999) p.194〕。一方から継承したカンバーランドのはカーライル伯爵家によって現在まで相続されている〔海保(1999) p.245〕。土地はカンバーランドを中心に所有しており、1883年の調査では7万8500エーカーという広大な土地を所有していた〔海保(1999) p.174〕。
''を継承した。
その息子である第13代カーライル伯爵(1949-)2015年現在の当主である〔。
18世紀初頭に3代伯爵チャールズは設計でヨークシャーハワード城を建設した。この邸宅はイギリス貴族の邸宅の中でも最も壮麗な建築物として有名である。同城は代々カーライル伯爵家に相続されたが、第11代伯爵(1895-1963)の代の1921年には財産分割で同家の所有を離れている〔海保(1999) p.194〕。一方から継承したカンバーランドのはカーライル伯爵家によって現在まで相続されている〔海保(1999) p.245〕。土地はカンバーランドを中心に所有しており、1883年の調査では7万8500エーカーという広大な土地を所有していた〔海保(1999) p.174〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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