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カール10世グスタフ(Karl X Gustav, 1622年11月8日 - 1660年2月13日)は、スウェーデン王国のプファルツ朝初代国王(在位:1654年 - 1660年)。「バルト帝国」の絶頂を極めた武威の君主である。ポーランド・スウェーデン戦争やカール・グスタフ戦争などの「北方戦争」を引き起こし、絶対王政の萌芽を築いた。 父はヴィッテルスバッハ家プファルツ系傍系のプファルツ=クレーブルク公ヨハン・カジミール。母カタリーナはカール9世の娘でグスタフ2世アドルフの異母姉、プファルツ選帝侯ルートヴィヒ6世の外孫でもあった。元は同じくプファルツ系傍系のプファルツ=ノイブルク公から選帝侯位を継いだフィリップ・ヴィルヘルムは又従兄に当たる。 == 生涯 == === 三十年戦争 === 1632年に母方の叔父でスウェーデンの名君だったグスタフ2世アドルフが戦死すると、カール・グスタフはスウェーデン元老院よりヴァーサ家の後継者として認められた。元老院は、従妹でグスタフ2世アドルフの娘クリスティーナに王位を継がせていたが、カール・グスタフとクリスティーナの結婚による王統の継承を目指していた。 一方、カール・グスタフはレンナート・トルステンソンの軍事教育を受け、三十年戦争後期のフランス・スウェーデン戦争に参加し、軍人として実績を積んで行った。カール・グスタフは三十年戦争の中でスウェーデン軍を重視し、ボヘミア戦役ではスウェーデン軍総司令官となって8000人の兵を率いてプラハ攻城戦に加わった。カール・グスタフは包囲軍と共に冬宮をする覚悟でいたが、ヴェストファーレンで締結された講和条約の知らせが11月2日に届いた為に兵を引く事となった。1652年に父ヨハン・カシミールが亡くなった為にプファルツ=クレーブルク公を継承したが、スウェーデン王即位に際して弟アドルフ・ヨハンに譲位した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール10世 (スウェーデン王)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Charles X Gustav of Sweden 」があります。 スポンサード リンク
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