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カールリス・ウルマニス : ウィキペディア日本語版 | カールリス・ウルマニス
カールリス・アウグスツ・ヴィルヘルムス・ウルマニス(Kārlis Augusts Vilhelms Ulmanis,1877年9月4日,ロシア帝国クールラント県ベルゼ教区,ベルゼ - 1942年9月20日,ソビエト連邦トルクメン・ソビエト社会主義共和国トルクメンバシ,クラスノボツク刑務所)は、ラトビア共和国の政治家。ラトビアが独立国として存在した1918年11月から1940年6月にかけて、独裁者としての絶大な影響力を発揮した。ウルマニスの治世については、ラトビア国内においても未だに賛否が分かれている。 ==幼少期から青年時代== 富農の家に生まれ、スイス連邦工科大学チューリッヒ校とライプツィヒ大学にて農学を学んだ。ラトビアに戻ってからは記者、教師、そして農場の管理人として働いた。1905年の革命に参加し、プスコフにおいて短期間投獄された。ロシア帝国当局によるさらなる処罰を避けるため、程なくしてウルマニスはラトビアから亡命した。亡命していた間、ウルマニスはアメリカ合衆国のネブラスカ大学リンカーン校にて農学を修め、科学の博士号を取得した。ごく短期間同学にて講師を務めたのち、ヒューストン、テキサス州にて事業を買収し経営にあたった〔Karlis Ulmanis: From University of Nebraska Graduate to President of Latvia 〕。 1913年、ニコライ2世が政治犯に大赦を与えたとの報に接したウルマニスは8年ぶりにラトビアに帰還した。しかし翌年には第一次世界大戦が勃発し、クールラント県も部分的にドイツ軍の占領下に置かれた。
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