翻訳と辞書
Words near each other
・ カール・ウィリアムス
・ カール・ウィルソン
・ カール・ウィルヘルム・シェーレ
・ カール・ウェザース
・ カール・ウエレ
・ カール・ウォルター・リンデンローブ
・ カール・ウルフ
・ カール・ウルリッヒ・シュナーベル
・ カール・ウーズ
・ カール・エスターライヒャー
カール・エステルライヒャー
・ カール・エッケルト
・ カール・エドゥアルト
・ カール・エドゥアルト (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)
・ カール・エドワーズ
・ カール・エドワーズ・ジュニア
・ カール・エドワード・セーガン
・ カール・エバレット
・ カール・エバーハルト・シェーンガルト
・ カール・エベレット


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カール・エステルライヒャー : ウィキペディア日本語版
カール・エスターライヒャー

カール・エスターライヒャーKarl Österreicher1923年1月3日 - 1995年3月11日)は、オーストリアの指揮の教育家・指揮者クラリネット奏者。ローアバッハ・アン・デア・ゲルセン生まれ。
カール・ベーム音楽監督を務めていた時代にウィーン国立歌劇場管弦楽団の第2クラリネット奏者として入団するが、ベームと衝突して首席クラリネットに上がれないまま退団する。
その後、指揮者に転向し、ウィーン国立音楽大学ハンス・スワロフスキーのアシスタントを務め、教授の指揮活動で忙しい中、当時のクラウディオ・アバドズービン・メータジュゼッペ・シノーポリローター・ツァグロセクなどの生徒のレッスンを代講する。ハンス・スワロフスキーの死後に指揮科の教授に昇格。現在中堅のペーター・シュナイダーヘスス・ロペス=コボスアダム・フィッシャーイヴァン・フィッシャーの兄弟、マリス・ヤンソンスガルシア・ナヴァロなどの生徒を教える。なお晩年はプライヴェートでプラシド・ドミンゴらにも指揮を教えていた。現在、ウィーン国立音楽大学指揮科助教授の湯浅勇治も弟子の一人である。
その指揮振りはオーソドックスで模範的なもので、どんなタイプの、またどのパートのオーケストラ音楽家にも容易く受け入れられるタイプであり、いわゆるカラヤンバーンスタイン方式を採用し、その生徒の個性的な指揮振りを壊さないような教育法であった。いろいろな名指揮者の分析も欠かさずとりあげ、また実際にホルスト・シュタインヴァーツラフ・ノイマンらを客演教授として招待し、生徒には午前中はピアノを使った指揮のレッスン、午後は毎日のように学生オーケストラを振らせて授業を進めていた。
指揮者での活動は少ないが、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団オーストリア放送交響楽団等の客演がみられる。学生オーケストラは指揮科主任教授として、ベルリン国立歌劇場NHK交響楽団などの仕事の忙しい同僚のオトマール・スウィトナーを差し置いて、当時すべて統括していた。
1995年にザンクト・ペルテンの病院で死去した。
==脚注==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・エスターライヒャー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.