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カール・ハインリヒ・ティンマーマン(Karl Heinrich Timmermann, 1922年6月19日 - 1951年10月21日)は、アメリカの軍人。第二次世界大戦最中の1945年3月7日に発生したレマーゲン・ルーデンドルフ橋を巡る戦いに参加し、その後ライン川を最初に渡った将校となった。 ==陸軍入隊まで== 1922年、ヴァイマル共和国時代のフランクフルト・アム・マイン近くで生を受ける。父ジョン・ヘンリー(John Henry)は第一次世界大戦後の占領任務に携わっていたアメリカ軍人で、母は父が現地で見つけたいわゆる戦争花嫁のドイツ人であった。 父方の祖父であるアーノルド・ティンマーマン(Arnold Timmermann)はドイツ人で、1871年にネブラスカ州カミング郡に移住した。1881年にはアーノルドの両親や兄弟も移住している。また1876年、アーノルドはアンナ・ウォートマン(Anna Wortman)と結婚している〔。 1876年7月28日に生まれたジョン・ヘンリーは1919年4月9日にアメリカ陸軍へ入隊し、占領任務の為にドイツへ派遣された。1921年、ヘンリーはドイツ人のマリア・ヴェイスベッカー(Maria Weisbecker)と出会い、交際を始める。1922年6月には息子カールが生まれる。1924年1月、一家はネブラスカに移住する。1928年8月16日、ヘンリーが陸軍を除隊する〔。 カールはネブラスカ州ガーディアン・エンジェルズ・スクール(Guardian Angels School)に通った。軍事史への興味を持った彼は2年生の夏に(Citizens Military Training Corps)へ参加している。1940年卒業〔。 ヨーロッパでの戦争の拡大に伴い米国内の反独感情が高まると、カールもまた自分がドイツ系である事に不安を抱くようになる。実際に彼の父は「臆病者」「脱走兵」などと蔑まれ、「ティンマーマン」というドイツ系の姓すら嘲笑されたという。やがてカールを含むティンマーマン家の3人兄弟は、祖国に忠誠を示し名誉を挽回するべく全員がアメリカ軍へ入隊した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール・ティンマーマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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