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カール・テオドール・ドライエル : ウィキペディア日本語版
カール・テオドア・ドライヤー

カール・テオドア・ドライヤーCarl Theodor Dreyer, 1889年2月3日 - 1968年3月20日) は、デンマーク映画監督
== 生涯 ==

=== 出生の秘密 ===
1889年2月3日コペンハーゲンで生まれた。父はスウェーデン在住のデンマーク人、母はスウェーデン人。父は富裕な地主で、母はその家の女中であった。カールは私生児として生まれ、すぐに乳児院に預けられた。いくつかの施設を転々とした後、翌1890年にコペンハーゲンの植字工ドライヤー家の養子となった。養家はカールに対して極めて厳格であった。ドライヤーは次のように後述している。「彼らはわたしが飢えないでいることを感謝するよう絶えず強要した。厳密に言えば、わたしには何も要求する権利がないこと、わたしの生母はその死によって養育費の支払を免れ、結果的に彼らを騙したのだから、と」〔「異端者 魔女 聖者 罪人 Heretics, Witches, Saints, and Sinners 」ユッテ・イェンセン Jytte Jensen、NFC Newsletter 2003 No.51〕。その後、17歳の時に事務員の仕事を見つけ、ドライヤー家を出た。以後、養家には二度と足を踏み入れることはなかった。
ドライヤーは18歳の時、生みの母であるヨセフィーナ・ニルソンの運命と自身の出生の秘密を探り当てた。ヨセフィーナの妊娠発覚後、父とその一族は彼女にスウェーデンを離れ、秘密裏にデンマークで出産することを強制した〔。ヨセフィーナはカールを出産した後にスウェーデンに戻ったが、別の男性との間に再び男児を身ごもった。相手の男性に結婚を拒否されると、彼女は硫黄を使った民間療法中絶を試み、貧困と孤独の中、硫黄の過量摂取による中毒で死亡した。不幸にまみれた母の死を知ったドライヤーは、男性や権力者の欺瞞によって生まれる社会の抑圧と不寛容が母を死に追いつめたと悟った。母とドライヤー自身の運命を決定づけた「社会の抑圧と不寛容」というテーマは、その後の作品に色濃く反映され、繰り返し描かれることになった。また、ドライヤーは自身の出生について多くを語ることはなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・テオドア・ドライヤー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Carl Theodor Dreyer 」があります。



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