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カール・ボレス(Carl Theodore Boles, 1934年10月31日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州出身の元プロ野球選手(外野手)。 日本では近鉄バファローズ、西鉄ライオンズに所属した。 == 来歴・人物 == 1966年に来日し、近鉄に入団。1969年からは西鉄に移り、日本プロ野球に在籍した6シーズンで、常に安定した成績を残した。1970年には、東映フライヤーズとの試合中に大杉勝男と乱闘となり、ノックアウトされる(その後、大杉が謝罪して落着した)。 西鉄在籍時の1969年にチームメイトの永易将之から敗退行為を持ち掛けられるもボレスは拒否し、球団に報告した。また、報知新聞の西鉄担当の記者に「チームメイトにわざとエラーする選手がいる」と漏らした。これを受けて報知が調査し、黒い霧事件の全容が明らかになっていったのだった。 西鉄との契約では、チーム遠征では宿舎ではなくホテル部屋を使用するというものであったが、体力を養うためにという名目でもっと高い部屋を要求したり、無断で試合に出ないなどチーム内での評判は悪く、要求が受け入れられないとみるや引退やパリーグ内での移籍を仄めかすなど、契約金にまつわるトラブルが多かった。我慢の限界に達した西鉄は、ボレス自身が仄めかして契約金の吊り上げに利用した引退の意思を逆手に取り、任意引退扱いにして事実上解雇した。 帰国後はサンフランシスコ・ジャイアンツのスカウトを勤めた後、現在は「The Carl T. Boles Baseball 4 Kids Foundation, Inc」を立ち上げ、経済的に恵まれない子供たちがリトルリーグへ参加することを支援している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール・ボレス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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