翻訳と辞書
Words near each other
・ カール・マリア・ヴィリグート
・ カール・マルクス
・ カール・マルクス・アレー
・ カール・マルクス・シュタット
・ カール・マルクス・シュタット県
・ カール・マルクス勲章
・ カール・マルコヴィクス
・ カール・マルコヴィックス
・ カール・マルティン
・ カール・マルティン・ラインターラー
カール・マルテル
・ カール・マルデン
・ カール・マレンコ
・ カール・マローン
・ カール・マンハイム
・ カール・マーロン
・ カール・ミカエル・ベルマン
・ カール・ミクリ
・ カール・ミヒャエル・コンマ
・ カール・ミヒャエル・ツィーラー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カール・マルテル : ウィキペディア日本語版
カール・マルテル

カール・マルテルKarl Martell, 686年8月23日741年10月22日)は、メロヴィング朝フランク王国宮宰カロリング家出身で、トゥール・ポワティエ間の戦いウマイヤ朝の進撃を食い止め、西ヨーロッパへのイスラム教徒の侵入をイベリア半島でとどめたことで名高い。
== 経歴 ==

=== 権力掌握まで ===
フランク王国の東北部にあたるアウストラシア(現在のドイツ南西部、フランス北東部、ベルギーオランダ)の宮宰ピピン2世の子として生まれた。カロリング家は宮宰として代々メロヴィング朝宮廷の実権を握っていた。
714年に父のピピン2世が死ぬと、その妻(マルテルの母アルパイダとは別人)であるプレクトルード(ピピン2世の正妻)からの指名により715年に後継のアウストラシア地域宮宰に就任した。その後、ネウストリア(現在フランスの大半)宮宰就任を宣言したいとこのラゲンフリートを破り、718年にフランク王国全体の宮宰となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・マルテル」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.