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カール・ヨハン・マキシモヴィッチ : ウィキペディア日本語版 | カール・ヨハン・マキシモヴィッチ
カール・ヨハン・マキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz または Karl Johann Maximowicz、マクシモビッチ、マキシモビッチ、マクシモヴィッチとも表記する、1827年 - 1891年)は、19世紀のロシアの植物学者で、専門は被子植物の分類。ペテルブルク帝立科学アカデミー会員。極東アジア地域を現地調査し、生涯の大半をその植物相研究に費やし、数多く新種について学名を命名した。その業績を含め、日本との関わりは大きい。 バルト・ドイツ人で、本名はカール・イワノヴィッチ・マキシモヴィッチ であるが、著作や論文など研究発表はドイツ流のカール・ヨハン・マキシモヴィッチ Carl Johann Maximowicz の名を記している。 == 経歴 == 1827年モスクワ近郊のトゥーラで生を受ける。サンクトペテルブルクのドイツ人学校から、今日のエストニアのタルトゥ大学に進学し、1850年までアレキサンダー・フォン・ブンゲに師事した。在学中にブンゲの影響を受け、生涯を東アジアの植物相解明に捧げようと決意する。卒業後に同大学附属植物園の助手を勤めたあと、1852年にはサンクトペテルブルク帝立植物園標本館(現・ロシア科学アカデミーコマロフ植物学研究所)にキュレーターとして異動する。
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