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ガイ・メッツァー(Guy Mezger、1968年1月1日 - )は、アメリカ合衆国の男性元総合格闘家。テキサス州ヒューストン出身。ガイ・メッツァーズ・フリースタイル・マーシャルアーツ所属。空手黒帯。元無差別級キング・オブ・パンクラシスト。 堅実なファイトスタイルから「難攻不落の獅子」の異名を持つ。PRIDEでは、そのディフェンシブなスタイルから「膠着大王」と揶揄されるなど評価は芳しくなく、戦績も4勝6敗と奮わなかった。 == 来歴 == 柔道、レスリング、空手、キックボクシングを経験。キックボクシングではUSKAやWKKCのヘビー級王座を獲得した。 1994年12月16日、UFC 4のリザーブマッチに出場、ジェイソン・フェーンを相手に総合格闘技デビュー。 1995年、パンクラスに参戦。当初こそルールに不慣れなために黒星も目立ったが、ルールに適応してからは1996年のランキングトーナメント優勝、元王者の鈴木みのるを2度に渡って下すなどの活躍を見せ、1998年にはキング・オブ・パンクラス・タイトルマッチで船木誠勝を下し、王座獲得に成功。柳澤龍志、近藤有己を下し2度の防衛に成功した。 1997年5月30日、UFC 13のライト級(-91kg)トーナメントに出場、決勝でリザーブマッチから勝ち上がったティト・オーティズを下して優勝。1回戦を突破したものの負傷のため決勝戦を棄権したエンセン井上と舌戦を展開するトラブルもあった。 1999年2月、UFCに参戦するためパンクラスの王座を返上〔ガイ・メッツァー、王座返上 BoutReview 1999年2月9日〕。3月5日のUFC 19で因縁のティト・オーティズと対戦するもTKO負け(試合後ティトに「ゲイ・メッツァー」呼ばわりされた)。 2000年1月30日、PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦で桜庭和志と対戦。1R終了時にセコンドのケン・シャムロックと共にリングを降りてしまい、試合放棄によるTKO負けとなった。 PRIDE時代の終盤にはアグレッシブな試合を心がけ、チャック・リデルと壮絶な試合を繰り広げたり、体格で勝る山本憲尚に勝利を収めた。だが、その代償としてダメージが蓄積し、関節炎の緩和のために処方された薬品(Vioxx)の副作用や脳のダメージによって2005年、ティトとの再戦が組まれたUFC 50での復帰戦直前に引退を決意し、出場をキャンセルした。 引退後はマーク・キューバンの運営するHDNetの格闘技部門であるHDNet Fightsの社長に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガイ・メッツァー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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