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ガグラ
ガグラ (; アブハズ語・ロシア語:) はグルジア西部にあるアブハジア自治共和国の都市である。黒海の北東の海岸から5キロメートル入ったところにあり、コーカサス山脈のふもとに位置する。亜熱帯気候のため、ロシア帝国やソビエト連邦の支配下にあったときには有名な保養地であった。 しかし、1990年代のアブハジア戦争以来、この町の人口は減少しますます衰退していった。1989年の人口は26,636人であったが、グルジア人のアブハジアからの大規模な追放によって、2009年時点での人口は15,700人と減少している。この町は22キロメートル北方にあるロシアの保養地であるソチからのロシア人観光客がしばしば訪れている。 == 歴史 == ガグラはトリグリト (Triglite) と呼ばれるギリシア人の植民地として建設され、ギリシア人と土着のアブハジア人が居住した。ローマ帝国に吸収される前の紀元前1世紀にはポントス王国の支配下にあり、ニティカ (Nitika) という名前に変えられた。地理的な条件のため、ローマ人はこの都市を強化した。というのもゴート族などの異民族が繰り返し侵入してきたためである。ローマ帝国の没落の後、その後継である東ローマ帝国(ビザンツ帝国)がこの都市を支配下に置いた。アブハジアの残りの部分とともに、9世紀以降ガグラはグルジアのイメレティ王国に組み込まれる。そしてジェノヴァとヴェネツィアの商人が目立つ、商取引のための大きな居留地となった。主な輸出品は木材、蜂蜜、蜜蝋、そして奴隷であった。ガグラの名前が初めて地図に載るのは、イタリア人のピエトロ・ヴィスコンティが1308年に作った地図である。この地図は現在ヴェネツィアのサンマルコ図書館に収蔵されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガグラ」の詳細全文を読む
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