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ガザン・ハン
ガザン・ハン(Ghāzān khān غازان خان生没年:1271年 - 1304年)は、イルハン朝の第7代君主。第4代君主アルグンの長子で、第8代君主オルジェイトゥの兄に当たる(在位1295年-1304年)。『元史』などにおける漢字表記は合贊。 1291年に父アルグンが没した後、父の弟であるガイハトゥが後を継いで君主となったが、失政を続けた結果、1295年に従兄弟に当たるバイドゥに殺害された。ガザンはその半年後、バイドゥに対して反乱を起こして彼を滅ぼし、イルハン朝の第7代君主として即位することになったのである。 == 即位以前の動向 == ガザンは、アルグンが即位する以前の1284年には既にチャガタイ家の王族ウマル・オグル(チャガタイの次男モチェ・イェベの次男でフレグの西征に参加したネグデル(またはテグデル)の長男)とともに多数のアミールらと、アルグンと係争を続けていたテグデル・アフマド・ハンへ和平に臨んでおり、早くからホラーサーン方面の諸軍を統率する立場にあったことがわかる。父アルグンは即位以前にホラーサーン方面を統括していたが、テグデル・ハンの討滅によって自ら即位することになったアルグンの愛息子として、ガザンは父に成り変わり東方領域の統括を任される事となった。 アルグンは1284年の即位のおりにイルハン朝の諸地方をフレグ家の諸子に分封している。すなわちバグダードの統治権従兄弟の王侯バイドゥに、ディヤールバクル方面の統治権は同じく従兄弟でフレグの次男ジョムクルの嗣子ジュシュケブに、ルーム方面はフレグの十二男フラチュに、グルジア方面はフレグの八男アジャイにである。そしてアルグン自らの嗣子ガザンにはホラーサーン、マーザンダラーン、レイを含むクーミス地方が与えられ、その副官(ナーイブ)にジュシュケブの弟である王侯キンシュウとアルグン・アカの息子でホラーサーン・カラウナス万戸隊長であったノウルーズが付いた。 バイドゥ、ノウルーズらはガザン登極までにガザンとイルハン朝内部の覇権を争った人物であり、アルグンの治世中でもその動向は不穏でありたびたび叛乱・離反をくり返した。ガザンは王族・諸部族長同士の紛争が絶えなかったフレグ・ウルスで、成人したばかりの十代前半からその渦中に少年青年時代を生きたのである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガザン・ハン」の詳細全文を読む
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