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ガス工場[がすこうじょう]
ガス工場(ガスこうじょう)は、都市ガスの製造と供給を行う工場である。古くは石炭を乾留して石炭ガスを生産する工場であったが、都市ガスの天然ガスへの転換以降は、天然ガスの供給拠点としての役割を果たすようになっている。 == 歴史 == 石炭から製造したガスを利用する技術に関わった人物は多いが、ガス事業の始祖とみなされることが多いのは、イギリスの機械技術者であったウィリアム・マードックである〔『明日へ燃える 大阪ガス80年』p.337〕。彼は1792年にコーンウォールの自宅に蒸留器を設置して石炭ガスを製造し、金属管で家の中に導いてそこで燃やすことにより、家の照明に利用した〔『発明の歴史 火の巻』pp.107 - 108〕。この他に、1785年ににおいて教室の照明にガスを利用したオランダのや、1791年に木材乾留によりガスを得て実用化したフランスのらがガス実用化の創始期の人物として挙げられる〔。その後、19世紀初めのロンドンとパリにおいて都市ガス事業を開始したの働きにより都市ガスの利用が普及していくようになった〔。ロンドンでは1814年から1820年頃には、鉄管で各家庭にガスを配給して利用する事業が普及し、やがて照明だけではなく調理や暖房目的でもガスが利用されるようになった〔『発明の歴史 火の巻』pp.109 - 110〕。 都市ガスの製造には、当初は水平式レトルトが用いられた。耐火煉瓦で造られた円筒型またはカマボコ型の炉を水平に配置し、石炭を投入して周囲から1000 - 1200度前後で加熱して石炭ガスを得て、最後にコークスが残る。当初は石炭の装入とコークスの取り出しを同じ口から行う有底式であったが、後に効率向上のために装入口と取り出し口を別にした貫通式が一般的となった。その後、ガスを作るだけではなく製鉄や鋳造など工業で利用するコークスの製造も考慮したコークス炉あるいは室式炉と呼ぶ設備が普及した。これは炭化室と燃焼室が交互に配置された構造になっており、製造能率が高くなった〔『明日へ燃える 大阪ガス80年』p.338〕。またコークスを熱し空気と水蒸気を作用させて得る水性ガスや、これに重油を噴射して熱分解させて出る炭化水素により熱量を補う増熱水性ガスといったものも利用された〔『明日へ燃える 大阪ガス80年』p.339〕。第二次世界大戦後石油の価格が低下すると、石油を原料にガスを製造することが広がり、加熱により熱分解油ガスを得るもの、触媒を用いて分解して接触分解油ガスを得るものなども用いられるようになった〔〔『大阪ガスの技術100年: 1905-2005 技術経営の軌跡』p.46〕。これはコークス炉では通年稼働が前提となるため、ガスの需要の波動に対応することが難しかったことが理由としてあり、ガス製造単価の安いコークス炉をベースロード用、建設費が安い油ガス発生装置をピークロード用に使い分けることになった〔『大阪ガスの技術100年: 1905-2005 技術経営の軌跡』p.21〕。 天然ガスは、19世紀後半にはロシア帝国やアメリカ合衆国で都市ガスに利用した実績があったが、低温技術が進歩したことにより、マイナス160度に冷却することで液化して輸送することが可能となった。液化天然ガス (LNG) の海上輸送は1964年にアルジェリアからイギリスへ向けて行われたのが最初であった〔『明日へ燃える 大阪ガス80年』p.340〕。天然ガスは液化の際に硫黄などの不純物が完全に除去されることからクリーンであり、液化すると気体の時の約600分の1の体積になることから輸送や貯蔵をしやすく、温めるだけで気化できることから製造設備を簡略化できるという利点がある。さらに、同じ体積あたりの熱量が約2.4倍となることから、ガス配管などの能力が向上することになり、設備投資が少なくて済むという利点もある〔『大阪ガスの技術100年: 1905-2005 技術経営の軌跡』p.55〕。天然ガス転換後のガス工場は、輸入したLNGを貯蔵し、海水を利用した気化器を通して気化して付臭などを行って送り出す設備となっている〔『明日へ燃える 大阪ガス80年』pp.340 - 341〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガス工場」の詳細全文を読む
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