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ガンデン・ティパ(dga' ldan khri pa)は、チベット仏教ゲルク派のラサ三大寺のひとつガンデン寺の座主職で、ゲルク派の首座。 ゲルク派の宗祖ツォンカパを初代とし、歴代のガンデン・ティパは「ツォンカパの後継者」と位置づけられ、ラサの大祈願祭(モンラム大祭、モンラム・チェンモ)の長となること、説法と廻向を行うこと、日常は大本山ガンデン寺で顕教と密教の書物について教育を行うことを主要な職掌とする〔文献⑥p,18,ll.8-11, p.55,ll.1-4〕。 ガンデン寺のティパ職は、同派内で最高の碩学と目される人々が交代で就任する伝統が早期に確立され、15世紀より16世紀にかけ、同派が化身ラマ制を受け入れるに伴い、デプン・セラ・タシルンポ・ラプラン・クンブムなど他の大僧院の座主職は次第に化身ラマの指定席になっていった〔セラ寺、デプン寺、タシルンポ寺の「歴代座主」の節を参照〕が、ガンデン寺のティパ職は、本人の資質・能力のみを条件とする数々の資格試験と役職をこなしてきた有資格者たちが、7年の任期で交代で着任しつづけて現在に至っている〔文献⑥p,17-18〕。 1642年以降、ダライラマの位置づけが「ゲルク派の有力な化身ラマの名跡」から「宗派を超えたチベットにおける最高の宗教的権威」へと上昇する変化が生じた〔1642年を境としたダライラマに対する呼称の変化は文献①pp,582-592, 20世紀初頭におけるダライラマの宗教上の権威、ダライラマが行使していた宗教的権限の内訳は文献④pp.9,13-16, 41-45〕が、ダライラマはもともとツォンカパの弟子ゲンドゥンドプを初代とする名跡であり、現在でも、ガンデン寺におけるティパ(座主)の為の坐台がダライラマの席よりも上座に設定されている〔文献③p.86, 文献⑧pp.110-111〕、仏教徒であるチベット人がこの地位を「ゲルク派のもっとも偉いラマ(dge lugs pa'i bla ma che shos dga' ldan khri pa)」〔文献⑥p,16,l.17, p.53,ll.2-3〕、「ゲルク派の最高指導者(dge lugs pa'i dbu khri che shos)」〔文献⑥p,18,ll.1-2, p.54,ll.12-13〕等と述べるなどの事例が観察される。 チベット動乱の際、ティパをはじめとするガンデン寺の寺院組織と所属の僧侶多数はチベットを脱出して亡命、ガンデン寺はインド南部カルナタカ州ムンゴッド(Mundgod)に伽藍を再建し、活動を継続している。 ==ガンデン・テイパになるプロセス== :(1) ラサ3大寺で20年から30年ほどかけて顕教の学習課程を修了したものは、所属寺院より博士号(ゲシェー号)を取得できる。そのなかで、博士号の最高ランク「ラランパ・ゲシェー」号を取得した者は、毎年正月の大祈願祭の際にラサ・トゥルナン寺で行われる国家試験を受け、1位から7位までの「順位を得た者」と「順位を得なかった者」に区別される。 :(2) ゲルク派では顕教の学習課程を終えた者はギュメ寺(下密院)かギュト寺(上密院)に進むが、ラランパの1位または2位を得た者は、ダライラマに任命されて、ギュメ寺・ギュト寺のラマウンゼ職、両寺の僧院長(ケンポ)、ケンスル職(元ケンポの意)に順次就任、その後はギュメ寺の所属者はチャンツェ・チョェジェ、ギュト寺の所属者はシャルツェ・チョェジェに就任する。 :(3) チャンツェ・チョェジェとシャルツェ・チョェジェから交互に7年の任期でガンデン・ティパに着任する。ティパ職を退任したものはティスル(元ティパ)と呼ばれる〔以上、プロセス(1)-(3)までは文献⑥pp,13-18, p.50-55による。〕。 :(4) 代々のガンデン・ティパが死去すると、その転生者が捜索され、化身ラマの名跡がひとつ新たに誕生する〔準備中〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガンデン・ティパ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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