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ガース・ウィリアムズ : ウィキペディア日本語版
ガース・ウィリアムズ
ガース・モンゴメリー・ウィリアムズGarth Montgomery Williams 1912年4月16日 - 1996年5月8日)はアメリカ合衆国イラストレーター児童書絵本挿絵で知られ、『シャーロットのおくりもの』『大草原の小さな家』の写実的な挿絵や『しろいうさぎとくろいうさぎ』『おやすみなさい フランシス』の動物の毛の柔らかい質感が特徴的である。
== 生涯 ==
ガース・ウィリアムズはニュージャージーカナダ農場で育った。彼は10歳の時、家族とともに英国に移住し、そこで建築を学び、建築家の助手の職を得る。しかし1929年世界大恐慌が始まると進路を変え、同年ロンドンのウェストミンスター美術学校に入学。次いでロイヤル・カレッジ・オフ・アート(英国王立芸術大学院、Royal College of Art)の奨学金を獲得し、1931年から4年間学ぶ。1935年にロンドンの美術学校Luton School of Artの校長を務めるが、翌1936年フランスの奨学金付留学制度ローマ賞を受賞し、イタリアなどで美術を学ぶ。
第二次世界大戦中は英国赤十字団体(British Red Cross Civilian Defense)に加わり病院で活動するが、ロンドン大空襲で負傷。1941年にアメリカに戻り、雑誌『ザ・ニューヨーカー』でイラストレーションを描くなどしていた。このとき同社のライターを務めていたE・B・ホワイトと知り合い、彼の児童書『スチュアートの大ぼうけん〔スチュアート・リトルの原作〕』(1945年)と『シャーロットのおくりもの』(1952年)の挿絵を担当することとなる。
1946年にはマーガレット・ワイズ・ブラウンの『ちっちゃなほわほわかぞく』(''Little Fur Family'')にも挿絵を書いている。1950年代初め、ウィリアムズはブラウンと組んで、ドラッグストアの店頭などで25セントで買える廉価な子ども向けの本『リトル・ゴールデン・ブックス』シリーズから絵本を次々上梓。これら廉価本は、児童書の世界で大きな発言権を持っていた図書館員たちからは低い評価しか与えられなかったが、アメリカ中の親子から広く愛されることとなった。
ウィリアムズはハーパー社のウルスラ・ノールストゥラムからローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』・『大草原の小さな家』シリーズの新版のために挿絵を依頼されて、これを引き受ける。ウィリアムズは挿絵を描くに先立って、1947年、インガルス一家が通った道を実際にたどって回り、物語の舞台を実際に確かめ、ローラ本人や土地の人々から当時の模様を聞くなど、丹念な取材をおこなっている〔ガース・ウィリアムズ「ローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズに絵を描いて」『ガース・ウィリアムズ絵本の世界』40-47ページ収録〕。シリーズ全8巻は1953年に出版された。
アメリカ図書館協会がすぐれた児童文学の作家や挿絵画家に贈る「ローラ・インガルス・ワイルダー賞Laura Ingalls Wilder Medal1954年から)のメダルのイラストはウィリアムズのデザインである〔レオナード・マーカス「ガース・ウィリアムズの芸術」『ガース・ウィリアムズ絵本の世界』8ページ〕〔http://www.askdeb.com/books/ingalls/〕が、ウィリアムズ自身はこの賞を贈られることはなかった。
1959年から1966年にかけて刊行されたマージェリー・シャープの『ミスビアンカ』シリーズ最初の4冊のイラストも担当した。もっともその後の版では、ウィリアムズによる当初のイラストは、ディズニー映画『ビアンカの大冒険』(1977年)のイメージに圧倒されてしまっている。
ウィリアムズは他の作家の本に挿絵を書くだけでなく、自ら絵と文の両方を担当した絵本も出している。『しろいうさぎとくろいうさぎ』は白と黒のコントラストが印象的な作品だが、異人種間結婚を連想させるとして論争を呼んだ。また、それほど論争を呼ばなかった『農場の動物の赤ちゃんたち』『ベンジャミンのぼうけん』『ベンジャミンのたからもの』『赤ちゃんの最初の本』等も上梓している。
ウィリアムズは後半生は、もっぱらメキシコグアナフアト州の西にある小さな町Marfilで暮した。メキシコ植民地の銀工場跡地に家を建て、あるいは改築して住んだコロニー集団の一員であった。ギターの名手でバンジョーを弾くこともあった。ロンドンでのアートスクール時代には大道芸の語り手でもあった。
4度結婚し、5人の娘と1人の息子をもうけている。1996年にメキシコのグアナフアトで死去。84歳だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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